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2019-08-06
未来が既定であるとしても
アメリ。アメリ=シュザンヌ……俺の妻は、今日から一年後、一八四一年一月三十一日に息をひきとるだろう。俺がここにとらわれてから一年間、彼女はとうとうベッドから離れることができない。二十六歳。俺が閉じ込められているここよりも、もっと遠くもっと暗い土牢の中へ、彼女は行ってしまうのだ。だが、涙はなるべく少しだけしか流さないようにしよう。俺は生きつづける。今日から四年後の十二月、重病のためにここを出されて、トゥールの病院に行く俺のことを、一八四八年の二月革命が待ち受けている。パリに甦るあの燃えるようなバリケードの日び…… ――佐藤信『ブランキ殺し上海の春(上海版)』

話者(ブランキ)は既定の未来を語っている。
ただし、意思(「涙はなるべく少しだけしか流さないようにしよう」)は既定ではない。
運命は覆せなくても、意思を運命にあずけるつもりはない、と。