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2019-02-28
自由に似た不在
語り手は家で一人、昼間から酒を飲んでいる。
どこからか美しい歌声がきこえてくる。
窓をあけると、向かいのアパートのベランダで洗濯物を干しながら歌っている若い女性。
「歌うことが好きなの?」
と語り手は話しかける。
女性は質問に顔を赤らめる。仕草がかわいい。

中原昌也の「ジェネレーション・オブ・マイアミ・サウンドマシーン」は文庫本で5ページ足らずの掌編。
語り手と女性の会話を綴った冒頭部分は1.5ページ弱。

その夜、近所の公園で小鳥の鳴き声が長い時間きこえていた。
鳥カゴごと2羽の小鳥が捨てられていたのだが、やってきたルンペンが鳥カゴに手を突っ込んで、2羽とも食ってしまう。
この出来事につづいて、ルンペンの醜悪な生活と内面が2ページほど綴られ、翌朝は日曜日。
遠足の幼稚園児や写生にきた女子学生たちは、公園に満ちたルンペン小屋の悪臭を吸って陰気な大人になり、全員が若くして死ぬ、《それぞれに悔いを残して》。

語り手であり、主人公でもあるかに見えた人物が最後にもどってくる。
また、一人で酒を飲んでいる。
どこからかラテンっぽいリズムがきこえてくる。向かいのアパートの女性はすでに引っ越してここにはいない。この陽気な音楽をきいているのは誰なのだろう。
語り手はその人物を探しかけるが、
「そういう若い人とは話があうわけがない」
と思いなおしてまた酒を飲む。完。

5ページ足らずの作品のうち3ページを占める公園部分での、本来の語り手らしき人物の不在は、以前読んだ次のような話を思い起こさせる。
地中海沿いのアフリカを行く10人あまりの観光ツアー。
途中で主要人物を含む半数ほどが行方不明に。
残されたメンバーは主役のいないまま旅をつづけるが、最後に至って全員が無事再会できて、めでたく完。別れていたあいだに主人公らに起きたことは語られないまま終わる。
読んだといっても、あらすじだけ。たぶんロブ=グリエの評論集にあった話だが、昔のことなので出典も内容も不確か。けれども自分の記憶の中ではこうなっていて、その限りでは事実。

二つの話に共通の解放感がある。
自由に似た何か。
不在のあいだに何が起きていたのか謎めいていて興味深い――というのではない。
そんな謎さえも感じさせないまったくの空白。
自由に似た不在とでもいうか。