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2018-08-07
誰が敗者を救済するか
誰が──どの勢力が──敗者を救済するかという問題。
言い換えれば、敗者の争奪戦。

1873年、いわゆる明治六年政変により、西郷隆盛下野。
1877年(明治10年)、西南戦争起こる。9月29日、西郷が城山で自刃して、西南戦争終わる。
1889年、大日本帝国憲法発布に伴う大赦で赦され、正三位を追贈される。
賊将から功臣へ、国家による敗者の救済。

西南戦争終盤の1877年秋、火星の大接近があり、人々はこれを西郷星(Wikipedia)と呼んだ。

この年、火星の大接近があり、最接近時の9月3日には距離5,630万km、光度-2.5等あまりにまで輝いていた。当時の庶民はこれが火星である事は知らず、「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」という噂が流れ、西郷星と呼ばれて大騒ぎになった。
やがてこれに便乗し、西郷星を描いた錦絵が何種類も売り出されて人気を博した、とエドワード・モースの1877年9月8日の日記にも記されている。
また、土星もこの時に火星の近くに位置していており、11月には火星と0度11分のところまで近づいたことから、桐野利秋に因んで桐野星(きりのぼし)と呼ばれた。

俗称西郷星之図。


西郷星は民の側からの敗者=西郷への共感あるいは支持。救済意志の表れとも言える。
西南戦争後も、中国大陸に逃れたなど西郷生存説あり、小説の材料にもなる。1891年のロシア皇太子(後のニコライ2世)来日の際にも、西郷が皇太子と同行して帰国するとの風説。

ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』には、誰がという問題はない。
誰がはすでに決まっていて、歴史的唯物論者がそれ。すなわち、マルクス、エンゲルスの歴史理論を大筋で信じて、資本家対労働者の戦いにおいて労働者の側に立つ者。