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2018-08-04
武蔵野小説
この春ごろか、タイトルに「武蔵野」の入る小説を挙げてみようとしたら、
  山田美妙「武蔵野」
  大岡昇平『武蔵野夫人』
  山田風太郎『武蔵野水滸伝』
この三本しか思いつかない。ネットで探しても出てこないから、地名というのは小説のタイトルになりにくいのかも。いちど使われてしまうと、以後は使いにくだろうし。

上の3本のうち、武蔵野の空気がそれらしく出ていたのは『武蔵野夫人』。背景に国分寺や多摩湖の具体的地形・地理。
山田美妙の「武蔵野」は、新田義興が殺されたころを時代として、九段台地あたりの光景を描こうとしていたが、これが武蔵野だという特色は出ていない。
山田風太郎の『武蔵野水滸伝』は、主要場面のひとつが印旛沼の開削工事だったりして、これは下総。「水滸伝」とあるのも、本家中国の水滸伝を下敷きにしたというより、国定忠治ほか関東一円の親分衆が勢揃いしてたりするから、下総をにした「天保水滸伝」からの発想だろう。武蔵野とは地続きの土地だが、武蔵野らしさが描かれていたという記憶はない。
国木田独歩に「武蔵野」があるが、これはエッセイ。柳田國男によると、この国木田「武蔵野」は武蔵野趣味というものを引き起こした。今風にいえば武蔵野ブームか。ただし、独歩の武蔵野は東京の市街を一歩外に出たあたりの、大根畑、ススキの原、ナラの林といったもので、江戸人の武蔵野観を引き継いだものにすぎない、とこれも柳田(「武蔵野の昔」)。要は人工の武蔵野。
というわけで、「武蔵野」とあるから武蔵野が描かれているかといえば、そんなことはない。ならば、内容ではどうか。
松本清張の『高校殺人事件』は武蔵野気分をウリにしてなかったかと読んでみた(再読)。地理は調布あたりの多摩川沿いがモデルとおぼしいが、描かれた光景は地方都市の郊外ならたいがい成り立ちそうで、武蔵野特有というほどのものではなかった。

以上のようなことで武蔵野を描いた小説の探求は終わっていた(というか、忘れていた)のだが、今朝、別の関心から大岡昇平の『将門記』をめくっていたら(これも再読)、平将門の乱の舞台となった湿地帯が、こんなふうに描かれいた。

これらの低湿地はいずれも葦萩に蔽われ、水はやっと人の踝を埋めるぐらいしかなかったはずである。鹿の群棲所にもなったので、「風土記」の「葦原の鹿は云々」の記事は、これを指しているのである。
葦の高さも今日では想像出来ないものだったようである。「更級日記」の筆者が武蔵国武柴あたりを行くくだりに「馬に乗った人の弓の先まで隠れる」とあるのは、少し誇張があるにしても、とにかくこの葦原に入ってしまえば、めったに見付けられない。「将門記」に、敗戦した将門が「広江に潜む」という記述があるが、それはこういう状態によって、可能だったのである。

常陸、下総、武蔵にわたる記述だが、武蔵野感はある。
「更級日記」の記憶では、長者伝説の跡地や竹芝伝説につながる官衙の跡などが残っているが、めくってみたら上のとおりの記述があった。ついでに拾い読むと、隅田川あたりの描写に「野山、蘆荻あしをぎの中を分くるよりほかのことなくて」ともあり。

次も大岡『将門記』から。反乱の最終盤、将門が討たれる直前の気象。

当時の合戦は主として矢戦さであるから、「将門記」の戦闘の記録には、いつも風のことが出てくる。今日のような植林の雑木林や屋敷林はまだなかった。一望木らしい木のない草原の地平を限った筑波の山脈やまなみが、眉に迫るだけである。広い関東平野を渡って来る春先の強風が、土を飛ばし草を靡かせて吹きまくる。

陽暦3月の南風という。場所は猿島で下総のうちだが、この風は武蔵野にもぴったりあてはまる。冬のからっ風ならもっとぴったりなのだが、史実を変えられるのはフィクションだけ。何かみつけたら追記のこと。