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2015-12-27
ゾンビ社会への招待
人の道を説く仕事であちこちまわっている。
自分の場合はゾンビとの戦いでもあるので、面倒なことが多い。
「それは人の道に外れる」
と説いてもゾンビには通じない。連中は人間であるという自覚がない。どう更生させるか。
名古屋の私立高校に招かれて、「これから社会に出る君たちへ」という演題で話をしている。
その最中に、ゾンビに取り囲まれて、首筋や肩を噛まれてしまう。
血がだらだら流れる。その血をぬぐった手で顔をなでる。顔も血だらけになったはずだが、聞いている生徒や教師の様子は変わらない。ゾンビがいることも、講師の顔が血だらけなのも見えないのか。
見えていないようなので、そのまま話を続けて講演を終える。
名古屋市内のホテル。
「ゾンビ症対策マニュアル」という資料を読んでいる。
医学雑誌の特集記事をコピーして持ち歩いているもので、下線を引いたりメモを書き込んだりしながら読む。一般読者も対象とした特集だが、医学や社会科学の専門用語が多く、なかなか理解できない。ほとんど数式とプログラミング言語だけで書かれたシミュレーション例などもあり、さすがにその種の記事はとばす。
だんだん頭が痛くなる。
難しいことを考えようとすると頭が痛くなるのは本当なのだと気づく。
そのうち奇妙な感覚にとらわれる。
頭が痛いのではなく、頭が硬いのではないか。理解力がないという意味での「頭が固い」ではなく、物理的に頭が硬い感じ。手でさわってみるが、もともと頭蓋骨で囲まれた硬い部位だから、どれほど硬くなったのかわからない。外部より内部が硬化しているらしい。結局、頭が物理的に硬くなるから理解力も低下するのか。それなら、頭が悪いという意味での「固い」と物理的な「硬い」は同じことになる。
その場合、頭が硬くなったこととゾンビに噛まれたことの関係は?
もしかすると、いまさら対策を調べても手遅れでは?
やはりそうだった。ゾンビに噛まれたせいで、自分もゾンビになってしまった。
ゾンビになったまま人の道を説く仕事をつづけている。
今ではゾンビは敵ではなくなったから、更生させる必要もない。前にくらべて仕事がだいぶ楽になった。
各地で同業者と顔をあわせることがある。
それでわかったのだが、売れっ子連中はたいがいゾンビなのだ。
考えてみれば当然のことで、われわれは人を動かす仕事をしている。ゾンビはそういう仕事に向いている。わざわざ人の首筋に噛みつくまでもない。握手をしたついでに、軽く爪の先でひっかいただけでゾンビ成分が相手の身体に流れ込む。すると相手もゾンビになる。完全なゾンビにはならなくても、ゾンビに好意的な体質にはなる。そのようにしてファンが増え、仕事も増える。売れっ子連中はそういう好循環に乗っている。ということは、自分も一流への道が開けたということか。
ところで、名古屋の高校でのことだが。
ゾンビの姿が人からは見えないなんてことがあるだろうか。そんな話は聞いたことがない。現に自分はゾンビだが、人との付き合いに困ったことはない。自分の姿が他人(ゾンビでない人)にも見えているのは間違いない。
それなら、あの講演中の出来事はなんだったのか。
答はひとつしかない。あの高校では教師も生徒もすでにゾンビ化していた。自分を襲ったゾンビも、彼らの扮装だったのだ。いかにもゾンビらしい姿だったが、そんな見るからにゾンビであるようなゾンビなどいるわけがない。それに気付かなかった自分がうかつというまでである。
自分は笑いものにされたのだろうか。
違うと思う。あれはゾンビコミュニティへの招待式ではなかったか。