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2015-11-25
煙突掃除夫
掃除の道具をかついだ男が古ぼけた路地を歩いてくる。
両側に昔の建物が並んでいる。
二階の窓から自分が路地を見ている。
さっきは自転車泥棒が走り抜けていった。今は煙突掃除の年寄りが近づいてくる。
「これでも昔は子供だった」
と爺さんのつぶやきが聞こえた。それはそうだろう、誰だって昔は子供だった。それとも子供のころから煙突掃除夫だったというのか。

人間は工作物である。座礁した宇宙船の旅行者が、旅を再開するために作った器なのだ──と「デッド・ロード」という本に書いてある。ところが、その旅行者は器を使う前に死んでしまった、と。
この話を信じるなら、人間は内容物を欠いた器にすぎない。
人間は主体性を持つ彼自身でもなければ、主体性のない操り人形でもない。主体的であるとかないとか、そんなことは問題ですらない。そもそも人間は空っぽなのだ。人間は何者かが入るべき器として作られた。ところが、器に入るはずのものが死んでしまった。その結果、人間は空っぽのまま存在している。「デッド・ロード」の説に従えば、そういうことになる。

もしかすると爺さんは、はや子供のころ人間の本性に気づいて、自分と似たもの──内部が空っぽの煙突──に親しみを感じ、煙突掃除を一生の仕事に選んだのではないか。
「そうだったんですか」
と二階から声をかけてみる。
話が通じて、爺さんが「そのとおりだよ」と言う。
煙突の内側は煤(すす)がついて、ほうっておくと厚く積もって取れなくなる。いつも掃除をしてやらないといけないのさ。人間も同じだ。中が空っぽだからゴミがたまる。掃除をかかさないことだな。