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2020-02-16
シュレーディンガーの自由意志論
シュレーディンガーによると、自由意志の存在は直接の内観により保証されている。
また、私の身体は機械として動いているが、私がその運動の支配者であることは疑う余地のない直接の経験によって知られている。

直接の経験というものは、如何に多種多様であり互に異なっているように見えても、それ自体が互に矛盾するということは論理的にいってありえません。そこで、次の二つの前提から互に矛盾しない正しい結論をひき出すことが不可能であるか否か考えてみましょう。
(i)私のからだは自然法則に従って、一つの純粋な機械仕掛けとして働きを営んでいる。
(ii)にもかかわらず、私は私がその運動の支配者であり、その運動の結果を予見し、その結果が生命にかかわる重大なものである場合には、その全責任を感ずると同時に実際全責任を負っている、ということを疑う余地のない直接の経験によって知っている。
右の二つのことがらから推して考えられる唯一の結論は、私――最も広い意味での私、すなわち今までに「私」であると言いまたは「私」であると感じたあらゆる意識的な心――は、とにかく「原子の運動」を自然法則に従って制御する人間である、ということだと思います。 ――エルヴィン・シュレーディンガー『生命とは何か――物理的に見た生細胞』(岡小天、鎮目恭夫訳)

自由意志は存在する。
なぜなら、そのことは私シュレーディンガーの経験によって知られており、私の心のうちでもそう判断されているから。