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2019-09-11
ジャック・モノーの『偶然と必然』は、誰よりも社会主義者に向けて書かれていること
ジャック・モノーのことは彼の著『偶然と必然』によってしか知らないのだが、その限りではモノーは社会主義者であって、この本は誰よりも社会主義者に向けて書かれている。

知識の倫理は、私の見るところでは、真の社会主義を築くための基礎となるべき、理性的であるとともに、断固とした理想主義的な唯一の態度なのである。十九世紀のこの大いなる夢は、若い人たちの魂のうちにいまもあいかわらず痛ましいほど強烈に生きている。痛ましいというのは、この理想がこうむってきた数かずの裏切りのゆえにであり、またこの理想の名において犯されてきた数かずの犯罪のゆえにである。この魂の奥底から発した念願が、物活説的イデオロギーの形においてしかその哲学的理論を見いだすことができないままできたというのは、悲劇的なことではあるが、おそらく不可避的なことだったのであろう。弁証法的唯物論にもとづく史的予言主義は、その誕生以来、あらゆる脅威をはらんでいたことは、容易に見てとることができる。 ――渡辺格、村上光彦訳『偶然と必然』、太字は引用者

このメッセージは誰かにとどいたのだろうか。
あるいは、社会主義という理想が消滅にむかう過程での無用な提言に終わったのか。
原著の出版は1970年、邦訳は1972年。

上の引用の続きは次のとおり。
唯物論ならざる史的唯物論が、にもかかわらず唯物論を名乗り、科学を名乗ったことにはじまる悲劇。

はたして、それらの脅威は現実のものとなってしまった。おそらくほかの数かずの物活説よりも、史的唯物論のほうがさらにいっそう、価値のカテゴリーと知識のカテゴリーとの全面的混同のうえに立っているのである。まさにこの混同があるからこそ、それは根本からして本物ではない叙説のなかで、歴史法則を《科学的に》確立したむねを宣言することができるのである。そしてこの理論によれば、人間がもし虚無のなかに落ち込みたくなければ、これらの法則に服従する以外には頼みの綱もないし、義務もない、というのである。 ――同前