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2019-07-05
月に吠える朔太郎の犬はニーチェの犬がモデルであること
これで3度目の引用か、ニーチェの『ツァラトゥストラ』から「幻影と謎」の章。
ふいに近くで犬の吠えるのをツァラトゥストラは聞く。

わたしの思い出は過去にさかのぼった。そうだ! こどものころ、遠い遠い昔に、
 ――いつか、犬がこんなふうに吠えるのを、わたしは聞いた。毛をさかだて、頭をそらせ、身をふるわせて吠えたてる犬のすがたを見た。深夜の静寂のきわみには、犬も幽霊を信じるというが、
 ――わたしは憐れをもよおした。ちょうど満月が屋上に、死のように黙々とのぼっていた。そのしずかに動かない円盤のかがやき、――それが平たい屋根の上にあった。照らされたわが家はよその家のようだった、――
 そのために、犬はあのとき恐怖にかられたのだ。犬は盗人ぬすびとと幽霊の存在を疑わないからである。 ――氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った』

萩原朔太郎が詩集『月に吠える』で描いた犬の姿は、すべて上の引用部分に負うと見ていい。

自身による『月に吠える』序文の末尾は次のとおり。

 過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。
 月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
 私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。

詩集のタイトル「月に吠える」は、所収作「悲しい月夜」のフレーズから取られている。
冒頭の「ぬすつと犬」は、ニーチェの「犬」と「盗人」からの合成だろう。

ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる、
波止場のくらい石垣で。

いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。

犬を描いて集中最長の詩は、次の「見しらぬ犬」。
ニーチェの犬と同様、この犬もおびえている。

この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具かたわの犬のかげだ。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、
さうして背後うしろのさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。

ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後うしろで後足をひきずつてゐる病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。

『月に吠える』には北原白秋も序文を寄せた。
「霜の下りる声まで嗅ぎ知つて」というあたり、「見しらぬ犬」を介して白秋の犬も気配におびえる「幻影と謎」の犬につながっている。

 月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、真実に地面ぢべたに生きてゐるものは悲しい。

※『月に吠える』のテキストは青空文庫による。