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2018-09-29
ある尊氏のアンチ理想主義
いいなずけを連れた刺客。名は於義丸おぎまる。いいなずけの名は桔梗ききよう
寺山修司のテレビドラマ台本「足利尊氏」から。

桔梗が於義丸に言う。

政治の善は、時がさだめるものです。

桔梗は理想を信じない。理想というものがあることは知っているが、それぞれの理想の是非は知らない。いや、知らないのではなく、是非はわからないのだと考えている。それぞれの理想の是非・善悪は、それらの理想が考え出されたり主張されたりしている段階では定まらない。それが定まるのは、時間を経たあとでなのだ。
「善はあなたがいま決めることではない」と桔梗は暗殺をやめさせようとするが、朝敵=足利尊氏の殺害が善であることを疑わない於義丸は、彼女の願いを拒否する。

尊氏と桔梗の会話。

尊氏 あの男は、私を殺すことを政治の理想と結びつけている。あの男にとっては、造大内裏行事所の仕事だの乾坤通宝の重さだのが現実ではなくて、その構想だけが政事なのだ。(笑)
桔梗 前から気づいていましたか?
尊氏 目の色が違っていたな。
だが、あの男には私は斬れぬ。
桔梗 斬れぬ?
尊氏 思想で人を斬るのは狂人だ……人が刃物をふりまわすのは……銭とか、名誉とか、ときには嫉妬とかいったときに限られている……あの男は自分の狂気を過信しているのだ。

尊氏も理想を持たない。だが、理想というものがあることは知っている。
狂人だけが思想で人を殺せる、と尊氏は言う。
於義丸にはその狂気が足りない。だから私=尊氏を殺すことはできない。
やがて桔梗は尊氏に身を任すことになる。
尊氏暗殺の目的を於義丸に遂げさせるには動機が要る。
だが於義丸は狂人ではない。狂気の足りない者にあっては「思想」は有効な動機となりえない。そこで「思想」に代わる動機として、彼ら――尊氏と桔梗――は「嫉妬」を於義丸に与える。

「暗殺者を差し向けてきた政敵は何者か」と問う弟の足利直義に、尊氏は「政敵?」と問い返す。

そんなものはおらぬ。
この男は、ただ嫉妬に狂った男だ……女を奪られた腹いせに、私を斬ろうとしただけなのだ……何と、茶番な!

この尊氏の言は嘘。
尊氏は於義丸に対し、父性的な感情を持っている。
桔梗は女として於義丸を愛している。
台本では説明されていないが、ともに於義丸を愛する二人が於義丸に使命――尊氏暗殺――を果たさせるべく図ったはず。つまり、尊氏は於義丸に討たれるつもり。桔梗も同じ。ただし、於義丸が嫉妬にかられて尊氏を襲うならばという条件付きで。
二人のおもわくに反して、於義丸は嫉妬をあらわにしない。
「逆臣! 尊氏!」とだけ叫んで、斬りかかる。
「なぜ、間男と呼ばぬ?」との尊氏の問にも応じない。応じればその瞬間に自身の正義が消えてしまうから。ひたすら「朝敵! 朝敵!」と叫びつづけ、ついには泣きながら敗れ去る於義丸。

政治に理念を持ち込まない――これがこのドラマの尊氏の政治思想。
アンチ理想主義。理念や理想で死ぬ気はないが、カネやオンナで死ぬならしかたない、現に他人のいいなずけを奪ったのだし。
「足利尊氏」と対になるテレビドラマ、狂信者が題材の「楠木正成」あり。