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2018-05-18
夜は勉強をしよう。そして学費の安い国立大の医学部を受験し直そう。
話は昭和28年(1953)の秋にはじまる。
語り手の「ぼく」は、授業がおもしろくないうえ学費も続かなくなって私大の文学部を休学し、母親が小さな酒場をやっている港町の釜石にもどってくる。酒場の2階3畳間に寝起きしながら職業安定所に通うと、1カ月ほどで勤め口がみつかった。

港町から歩いて二時間ばかり遠野の方角へ逆もどりした山の中にその夏、新設された国立療養所が職員を募集しているというのだった。給料は安いが、勤務時間は九時から五時までで残業はない。夜は自分の自由に使えそうである。食と住は、母親の所から通えばただだから、給料に手をつけずにそっくりめればそれが学費になる。夜は、勉強をしよう。そして学費の安い国立大の、できれば医学部を受験し直そう。

当時の大学受験事情がどんなものか知らないが、片道2時間の職場へ通いながら、夜だけ勉強して──それも秋口からの短い期間で──国立大学の医学部を目指すというのは、頭脳、身体とも優れた人物ではないのか。まだ医者になったわけではないから、ホームズの活躍を語るワトソン博士には及ばないし、聞き書きの『遠野物語』をまとめた柳田国男にはさらなりだが、あるいはこの「ぼく」も『新釈 遠野物語』中のインタビューアとしてだけでなく、物語の重要登場人物としても動き出すことになるのだろうか。

「ぼく」のモデルは井上ひさし。
昭和28年の井上の実歴は、3月、仙台第一高校を卒業。4月、上智大学文学部ドイツ文学科に入学。教授の神父たちに失望し、夏休みに母のいる釜石市に帰省したまま、休学。11月、国立釜石療養所の事務員として採用され、約2年半を過ごす。(『新潮現代文学 79 新釈遠野物語・薮原検校』巻末年譜による)