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2016-06-11
アンリ・ルソー追悼
画家のアンリ・ルソーが死んだ。
ワニに食い殺されたという。やはりそうだったのかと思う。

ルソーは普通の人だった。それも極端に普通だった。
「普通」と「極端」は対極にあるものだが、ルソーは普通の度合いが極端だった。
「事物はあるがままに描くべきである」
とルソーはいつも言っていた。自分もなんどか聞いたことがある。
肖像画を描くさい、彼は仕立屋がするようにモデルの身体のサイズを計った。身体だけでなく、顔の長さや幅、目、口、耳などの位置とサイズまで定規をあてて計ってから描きはじめた。
しかし、そのようにして出来上がった絵は、けして普通ではなかった。
モデルのない絵を想像で描く場合も、下敷きとなる絵や写真を用意し、そこに描かれた事物のサイズと比率を計ってから制作にとりかかった。熱帯の風景にライオンやジプシー女、ヘビ使いの男などを配した晩年の連作もそのようにして作られた。
その一枚が代表作の「ワニとライオン」。ワニがライオンにかじりついている。背景の森はオワズ河畔でスケッチしてきた光景という。ワニとライオンの格闘場面は当時の通俗雑誌のイラストから取られている。
この絵にルソーはみずから次のような説明をつけた。
「飢えたワニがライオンに襲いかかって噛み殺そうとしている。ヒョウは分け前にあずかろうと待ちかまえている。すでにワシたちは、涙を流しているライオンからひと切れずつ肉を食いとった。日が沈みつつある」
でも、ヒョウやワシの姿は見えない。自分がそのことを指摘すると、
「草や木をかさね描きしたから、隠れてしまった」
とのことだった。やはり彼は「あるがまま」に描いていたのだった。

ルソーは倫理観や価値観も普通だった。
名誉にあこがれ、女性に惚れっぽく、カネを欲しがった(これらは普通のことである)。どれもたいしたものは得られなかったが(これも普通のこと)、とくにカネを得るのは苦手で、狭いアパートの家賃さえ滞る暮らしだった(これもまあ普通のこと)。
普通すぎる審美眼の持ち主アンリ・ルソーが、普通のつもりで描いた作品が普通では終わらなかったのと同様に、普通すぎる社会観、対人感で生きていたルソーの人生も、自分の連れていたワニに食われてしまうという普通ではない終わり方だった。