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2015-12-21
凹凸忌
ふつうなら凸型に存在するものが、何かのはずみで凹型に反転してしまう。
一年前の春、そういうことが橋場の爺さんに起こった。

嫁のフミ江と連れ立って畑仕事から帰る途中、ふいにヨシヲ爺さんの姿が消える。見ると、それまで爺さんのいたところに穴があいている。フミ江が穴をのぞいても爺さんはいない。あわてて家にもどって亭主=爺さんの息子を呼んでくる。話を聞きつけてほかの村人もやってくる。
皆でかわるがわる穴をのぞき込んでも爺さんの姿はない。爺ちゃん、どこへ行ってしまったのか。深い穴ではあるが、人間一人があっさり落ち込むような大きさではない。爺さんが隠れているわけはない。
そのうち誰かが「これは人型ではあるまいか」と言い出す。
よく見れば、脚を上、頭を下にした人間の鋳型のようでもある。腰のうしろで手を組んだ様子や少し丸い背中がヨシヲ爺さんに似ている。
いったい何が起きたのか。
いや、何が起きたかはすでに明らかだった。爺さんが凹んでしまったのだ。

畑道の穴だから、風があれば畑土が吹き込む、雨の日には流れこむ。
落ち葉や小動物の死骸、虫の類も落ち重なる。
一年たって、穴はすっかり埋まった。
すでにこの出来事は、警察にも村役場にも知られているが、今さら蒸し返す者はいない。
一周期の法要が現場で行われ、小さな石塔が建てられる。正規の墓地ではないから、道祖神ということにするが、とにかく凹んでしまったヨシヲ爺さんが凸型にもどった。そんなふうに感じられて、村人のもやもやした気持も解消され、めでたく春が過ぎてゆく。