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2015-12-14
同級会のことなど
小学校の同級会に出かけた。
生まれたのも育ったのも舟の上。学校も舟の上の学校に小舟でかよった。当時は家族ごとに舟の上で暮らしていた。そういう同級生の会。
旧友らは昔の面影を保っていたが、何十年ぶりかだから相応に年は食っている。
明ちゃんも小じわの目立つお婆さん顔になっていた。
「ごめん、明ちゃん」
まずい感想を持ったことを、私はあやまった。
「え、なんなの」
「いや…」
「そんな。いつまでも気にすることないのに」
明ちゃんは何か別のことを思ったようだった。
ドッジボールやソフトボールの話は、自分にはおぼえがなかった。
女の子たちの縄跳びや鞠つきの話も妙な気がした。
そんな陸上の遊びを、自分たちはしてたのか。
揺曳感がもどってきた。
波に揺られる舟の上の感覚に、自分は懐かしさで涙がこぼれそうになった。
浮遊感もよみがえってきた。
川を潮が上ってくるにつれ、外の景色──船着場や岸の建物──が沈み込んでゆき、自分たちの舟が浮かび上がってゆく時の、うれしいような、誇らしいようなあの感じ。
水上生活の時代のことは、同級生たちは忘れているように見えた。
五年生だったか六年だったか、そのころ舟の学校が廃止され、生徒は陸上の学校に移った。みんなはその後のことを語っていた。

新聞やテレビによると、このごろまた水上生活をする人が増えているらしい。家を手放したり、家賃が払えなくなって、廃船や老朽船に移り住んでいるという。
自分も舟の暮らしにもどるのか。
ほんとうを言えば、水上生活は今の暮らしよりずっとつらいだろう。住環境として劣悪だろうし、差別的な扱いも受ける。不法係留だといって行政に追いかけ回されたりもする。でも、そうなったらなったである。
今度はなるべく小さな舟にする。
自分が死んだら、舟ごと棺桶に見立てて焼き払ってもらう。そうすれば葬式も遺品の処分もいっぺんに片付いて、迷惑をかけずに済む。舟を焼くのに使えるよう、暖房用の石油は十分遺しておく。ガソリンのほうがいいのかな。同級会から帰って、そんなことを考えている。