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2012-11-01
さらばスプートニク


スプートニクは1950年代後半にソ連が打ち上げた世界最初の人工衛星。
それが2012年の地球に落ちている。
しかも調べているのは19世紀の人物オットー・リーデンブロック教授。
どうしてこんなことになったか。偶然なのか。

妙に気分が高揚して夜中に目をさました。
スプートニク計画とは、そのスプートニクの名を借りた個人プロジェクトである。

「弱さが悪を誘発する」というのを考えついた。
では、弱さが誘因なら弱さは悪ということか。
ちがう気もする。というか、自分の持ってるヒューマニズムに反する。
ヒューマニズムとかなくてもいいのに、自分にはある。
強大なものは、そのことだけですでに悪である、とも思う。

次に「偶発的人物」というのを考えついた。
枕元の『百頭女』をめくって思った。
『百頭女』はマックス・エルンストの画集。
そこに出てくる全裸、半裸、薄衣の女たちの多くが偶発的人物に思えた。
そこにいる必然性がない。
でも、いる。いなくても絵柄は成り立つのに。
(追記 - このお姉さんの存在理由



それから、「おれもパクらなくては」と思った。
パクるなら、漱石、鴎外、芥川、有名どころをパクらなくてはいけない。
さっそくだが、「二百十日」をパクった旧作を整理しよう。
小説と外部的形式によってしか区別されない詩、思想を表現したり感情を表現したりする詩は、もう、誰の興味もひかない――とツァラは言っている。
ロマンなくせにアンチロマンだったり、ヒューマンなのにアンチヒューマンだったり。
そのあとスプートニク計画のことを思い出した。
この項どこかにつづく。