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2012-06-14
自分とか、思いとか、そんなものは要らない
今朝の不首尾。
このごろやってるように、短いのを一本歌おうと思った。
いつものようにでたらめに歌いはじめて、こんなフレーズが浮かんだ。

♪ となり町の造船所、たんぽぽ、たんぽぽ

悪くない気がして、これの繰り返しでつくろうとしたのだが、うまくいかなかった。
良しと思えるものにならなかった。うまく歌えなかった。
それでいったん捨てたのだが、同じ材料で詩が書けそうな気がした。
で、やってみた。しかし、うまくいかなかった。
歌がうまく歌えなかったのは技術的な問題だが、詩が書けなかったのはそうではない。
思いみたいなものが前面に出てきてしまった。
思いとか、自分とか、そんなものは詩をつまらなくするだけなのに。

思いなんかなくて書いた詩とは次のようなもの。

おれたちは双子のギャング
おれたちは双子
生まれたときから双子
生きてる今も双子
片方が死んで、片方が生き残っても、やっぱり双子
両方が両方とも死んでしまっても
そうだな、やっぱり双子か
おれたちは双子のギャング
生まれたときから双子
- ふたごのギャング

条理にかなった詩である。
嘘はひとつもない。
正しいことしか書いてない。
双子は生まれたときから双子である。正しい。
双子は片方が死んでも、両方が死んでしまっても双子である。正しい。
条理にはずれたところは全くない。
けれども、なにがしかの不条理感がある。
わたしは素朴な詩人で、素朴に言葉を並べたらこうなりました――などとはいわない。
これは不条理なものになると気づいて、そういう決着を狙った。
そしてそのようにできた(と思う)。
思いとか、自分とか、そんなものは要らないのである。