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2011-04-20
文章
なんでもいいから、他人の文章をコピーしてきて、いや、ひとまとまりの段落とかではなくて、ワンセンテンスでいいんだが、
《橋のたもとに生まれ川向うの風景の急激な変貌を見て育った。》
だからどうした、とか言うのではなくて、
《ウィリアムズバーグ橋の隣りにはあのハート・クレインやウォルト・ホイットマンの謳った“十九世紀の示しえた最高の工学建築物”ブルックリン橋が重なるようにかかっていた。》
そうそう、隅田川とか、永代橋とか。
《その円弧のまわりには煙突の垂直線、ビルの長方体、工場の立方体、ガスタンクの円筒といった生活空間の》
ガスタンクこわい。爆発しそうなものが苦手です。すごい臆病だと思う。
《図形がひしめきひろがり刻々と変っていった。》
近くの田んぼに案山子。もちろん和風。三囲稲荷とか。
ワンセンテンスでなくてもいい。
計画と意欲。
意欲、つまり言いたい内容。計画、つまり意欲を表現するための計画。
その二つがないと文章は書けない。
文章が書けるようになりたいと思う。
でも本気ではない。
上の二重山括弧の部分は誰かの文章。
出典は忘れた。たぶん図書館から借りて、写しておいた。映画か音楽の本。
本気でないのは、あきらめが先行してるからだと思う。
手が届きそうもないことに、人は本気にならない。
文章が書けない人は詩を書くといいと思われる七つの理由。
《煙突の垂直線、ビルの長方体、工場の立方体、ガスタンクの円筒》
子どもに絵を描かせるやり方の一つに、輪郭や構図を考えず、描きたいところから始めさせるというのがある。足とか、しっぽとか、トサカとか、描きたいところから描かせる。
ああ、これニワトリね。
そうですニワトリです、先生。
《煙突の垂直線、ビルの長方体、工場の立方体、ガスタンクの円筒》
描きたいところから描きはじめたニワトリの絵は、できあがっても、各部位のバランスが欠けている。でも、ニワトリ。そうよ、ニワトリよ。トサカだけが、大きく、綿密に描き込んであって、胴や足は付け足りの。
《煙突の垂直線、ビルの長方体、工場の立方体、ガスタンクの円筒》
小説でも詩でもなく、エッセイでも批評でも論文でもない文章。
ただ文章としか言えない文章。
煙突の垂直線、ビルの長方体、工場の立方体、ガスタンクの円筒。そういうのがあって、でも、配置は考えない。輪郭も考えない。目についたところから描く。煙突は垂直ではなく、ビルは長方体ではなく、工場は立方体ではなく、ガスタンクは円筒ではない。でも、絵。
《図形がひしめきひろがり刻々と変っていった。》
そんなの。