zakki no.35 by mataji

[2023.6.1 - 2023.6.30]

2023.6.30 fri. link #三好達治

その代り駆引もあ◯◯◯曲もある 種も仕掛けも
覆面も 麻薬も 鑢も 匕首も 七つ道具はそろつてゐる
しんばり棒はな◯◯◯
いづれカルタの◯◯から 築くに早く崩れるに早い


朝は手錠といふわけだ
いづこも楽な棲みかぢやない
三好達治「駱駝の瘤にまたがつて」
ラクダに乗って自分がどこかからやってくる。
地球のむこうからという。
三日月が砂丘に落ちかかる、そんな天幕の間からともいう。

人に知られた三好達治とは別の三好になる。「駱駝の瘤にまたがつて」の「おれ」は、作者のそんな志向を託されてやってくる。
そして実際にも、人に知られた三好とは別人格めいた振る舞いをつづけるだが――

この人物はまたしても
……
牢屋の窓からふらふらと
あばよさばよさよならと
駱駝の瘤にまたがつて抜け出すくらゐの智慧はある
――さて新らしい朝がきて 第七幕の幕があく
さらばまたどこかで会はう……

2023.6.29 thu. link #詩 #大竹伸朗

original:
火傷だらけの蝉
火傷の干物かな
古里の松より
古里の松の苔干し後の山

浅間山が見えたら夏
火傷の夏


街中の選挙ポスターの貼りかた、配置感覚、通り沿いの壁に描かれた選挙ポスターの指定枠のかたちには強く感心させられた。自己顕示欲が人それぞれの貼りかたに特徴を持たせ、その結果に深く「ユーモアと情」を感じる。もちろん貼った本人にそんな意図的配慮など皆無なのはよくわかるが、世の中になくてはならない健全な無知というものを感じずにはいられない。それは人々を幸せにする重要なものだ。 大竹伸朗『カスバの男――モロッコ旅日記』
derived:
浅間山が見える夏
古い集落に浅間山が見える夏
古い村の松の木から、苔が乾いた後の山々
火傷の蝉?
古い村の乾燥したやけどの蝉
浅間山が苔むす夏、苔むすから火傷の多い蝉、火傷の干した蝉、古い村から

火傷の夏、火傷の蝉の干物?
火傷の多い蝉、火傷の乾燥した蝉?
松が見える夏
火傷の夏、乾燥、古い村の松の木から
浅間山が古い村にある時の後の山
古い村から

旧村の松より
火傷の夏?

古里の松より、苔の夏、蝉のやけど干し
見ゆる松の木より
火傷の夏、乾燥、古い村から
火傷の夏、火傷の多い蝉の干物、古い村の松の木の蝉の干物

やけの後の山、やけの多い蝉の干物?
苔の中から蝉のやけど干し、松の木の中から蝉のやけど干し
古い村の後の山
火傷の苔むした蝉を干した夏?

たくさんの火傷から
古い村から

2023.6.28 wed. link #葬式 #エンゲルス

2023.6.26

葬式に似た何かが行われている。
どう見ても葬式。
坊さんがいる。会衆もいる。
葬式と見て、なに不足するものもない。

「坊さん、坊さん」と呼んでみる。
視線が返ってくる。
まずいところを見られた、そんな気配がないではない。
ということは、本物の――つまり偽者の――坊さんなのだ。

Contradiction: the crucible of historical materialism

下手でいいからこんなのが描きたい。そんなイラストをみつけて Google Lens でオリジナルを探していたらこれに当たった。エンゲルスが描いたらしい。


気がつかなかったが、ダンサーか。
両手を伸ばして、スカートの裾をつまんでいる。

事実関係に深入りしない
出典を明記する/しない

信用されなくていい/信用されないほうがいい
信用されないことの是非
信用されたいという意識、願いについて

2023.6.27 tue. link #マルセル・デュシャン #自動生成

風雨による自動生成

Unhappy Readymade

それは幾何学の教科書で、彼女はそれをラ・コンダミヌ街の彼女のアパートのバルコニーに、紐でぶらさげておかなければならなかったのです。風が本をめくり、自分で問題を選んで、ページをむしり、引きちぎっていくはずでした。シュザンヌはそれで『マルセルの不幸なレディ・メイド』という小品をつくっていますが、そこにあるのは風でぼろぼろになってしまった残骸です。私がおもしろいと思ったのは、幸福と不幸の観念をレディ・メイドにもちこむことでした。それに雨や風、吹き飛ぶページというのが、アイデアとしておもしろかった……
岩佐鉄男、小林康夫訳『デュシャンは語る』
彼女とかシュザンヌとあるのはデュシャンの妹。
デュシャンが彼女に幾何学の教科書を送って、バルコニーにぶらさげておくよう指示したのは1919年のこと。
シュザンヌの作という「デュシャンの不幸なレディメイド」(Marcel Duchamp's Unhappy Readymade, 1920)は油絵で、デュシャン自身の「不幸なレディメイド」(Unhappy Readymade)とは別物。

次の写真は2016年に作られた「不幸なレディメイド」のレプリカ。スイスのマルセル・デュシャン美術館(Kunsthalle Marcel Duchamp)に隣接するビルの窓に取り付けられて、1年間にわたり展示された。

Marcel Duchamp, The Unhappy Readymade 2016 - KUNSTHALLE MARCEL DUCHAMP | THE FORESTAY MUSEUM OF ART

2023.6.26 mon. link #ナンセンス #中原祐介 #ルネ・クレール #マルセル・デュシャン #詩

〈ナンセンス〉の必要条件として、個性的なものの消却ということを挙げなければならない。むろん、個性的なものの消却がすべて〈ナンセンス〉だというわけではない。芸術表現における自己の不在証明のひとつの方法――不在を証明するために非存在のものに実在性を与えるという積極的な方法が〈ナンセンス〉なのである。 中原祐介「意味の無意味」(『ナンセンス芸術論』)
〈ナンセンス〉にとって〈笑い〉はかならずしも本質的なものではない。〈笑い〉よりも〈驚異〉が優先する。〈表現〉と言うより〈発明〉と言ったほうが正確であり、その根底には、想像の世界で自由を獲得しようとする一種の快楽への欲求が横たわっている。 同前
ルネ・クレールの「幕間」という映画について、

ここで展開されているのは、まったく脈絡を欠いた奇妙な世界である。たとえば、この映画の終り近くに駱駝が棺をひっぱる葬式があるが、そこには慣習的な悲しみなどひとかけらももない。ただ、われわれの知っている葬式に似たひとつの儀式が行われているにすぎず、それによって逆に、われわれはこの〈別の現実〉における葬式に似たひとつの儀式を、この日常的〈現実〉で行っていることを知らされるという倒錯した感情に襲われる。 同前
René Clair, 1924 Entr’Acte on Vimeo

ラクダになった(つもりの)自分。
自分がラクダであるとして、そのラクダが見る夢を見ようとしている。
ところが眠り込むと人間の自覚にもどってしまうらしく、夢にラクダが出てくる。
「ちがうんだよ」とつぶやく。
夢にラクダなんか出てきても嬉しくない。
自分が見たいのは自分がラクダになった夢であって、ラクダの出てくる夢ではない。

なんとなく空を見上げる。
すると星条旗を広げたような夜空。赤、青、黄の色の組み合わせ。
ときおりやわらかい線を描いて星が流れる。
悪くない空だ。でも、これは人間の目に映る空ではない。もしかするとラクダの見る空なのではないか。それなら、がっかりするのはまだ早い。望んだとおり自分もラクダになりかけて、ラクダの見る夢を見ているのでは。
だが、自分の身体をながめまわすと、あいかわらず人間のまま。
またひとつ星が流れる。
人間の目で星のゆくえを追う自分。
空だけがラクダの空で、自分は人間のまま置き去り。
なんだかつらい。つらくて涙がこぼれる。ラクダになれないって、こんな悲しいことだったのか。

あたりは片側板塀の住宅街。
曲がり角の電柱の陰からラクダが首を出している。
どう見てもそのラクダは自分ではない。
「ふざけたやつだ」
と思う。抗議したい気持がある。ラクダに対して?

葬式に似た何か
René Clair, 1924 Entr’Acte on Vimeo

――その頃、あなたはルネ・クレールの『幕間』に、マン・レイ、ピカビア、サティらといっしょに出演なさっています。それからロルフ・ド・マレのバレエにも。これは折衷主義の……
 そう言ってもいいですよ。『幕間』というのは、そのタイトルが示している通り、あるスウェーデンのバレエの幕間に映写されるものでした。私が出たのは、ピカビアとサティの『休演』の場面です。上演は一回しかなされませんでした。わたしは付鬚と葡萄の葉で、裸体のアダムに扮しました。イヴをやったのはブローニャというロシアの若い女性で、彼女もやはり全裸でした。ルネ・クレールは上の方の屋根組にいて、私たちに照明をあてていました。そしてそこから彼女に恋をしてしまったのです。彼らは数か月後に結婚しました。私はマッチメーカー、ほらあの結婚の仲人役をつとめたのです!
『幕間』にはシャンゼリゼの屋根の上で、私がマン・レイとチェスを指す場面があります。そこにピカビアが水まきホースを持ってやってきて、すべてを洗い流してしまうのです。 岩佐鉄男、小林康夫訳『デュシャンは語る』
デュシャンの証言にあるチェスの場面は、ネット上のビデオ『幕間(Entr’Acte)』にあるが、裸体のアダムと全裸のイヴの場面はない。後者はバレエの場面なのだろう。
スウェーデン人の貴族・実業家ロルフ・ド・マレがパリで創設したバレエ団の演目に『天地創造(世界の創造)』あり(Wikipedia)。タイトルから見て、こちらなら裸のアダムとイヴが出ていておかしくない。

2023.6.25 sun. link #詩

荒れ果てた大地にあるすべての顔
顔の土を食べている捕虜は、マシンガンの土から成長するマシンガンの塊で表示されます、彼らの手足を撃つガン
捕虜の膝は冷たい動物であり、捕虜の膝の上に暗い膝の上に土の機関銃の塊を与える捕虜の銃の塊の膝は冷たく曇っている捕虜は音を行使して撮影された機関銃
機関銃
食事をする捕虜に命令を抱きしめる捕虜と銃声の馬
月面に機関銃の塊が写る捕虜の動物、手足は曇っている

丘の上で命令を食べる捕虜たち、暗闇は動物たちを遠ざけ、荒れ果てた姿に曇る
すべての丘、暗闇は寒く、月に曇っている月の塊の土の上に顔が冷たい動物、動物、捕虜に曇っている血から成長する沈黙している

一晩中、血が冷たい夜

機銃を与える捕虜

鳥、貝が冷たくなる

手足はすべて脱走
写真に撮られた捕虜への命令は機関銃の塊となって土を呻かせる

馬は寒く、馬は月の上に現れ、土は塊になって曇り、捕虜は彼らの手足を与える
丘、荒れ果てた草原、月の土、顔と貝が冷たくなる

2023.6.24 sat. link #コラージュ #スクラップブック #大竹伸朗 #手榴弾

モロッコの旅から四年たった今『カスバの男』を読み返してみても、私はやっぱりこの場所にいきたいと思う。今すぐチケットを買いにいきそうになる。けれどいかないのは、ここに描かれているものはモロッコでありながらモロッコではないと、私はすでに知っているからなんだと思う。大竹さんが描いたのは、私たちの知らない世界だ。そこへいくチケットはどこにも売っていない。この本を開くしか、そこへ足を踏み入れることはできないのだ。――角田光代「解説」

大竹伸朗『カスバの男――モロッコ旅日記』

この作品は、一九九四年五月、株式会社求龍堂より刊行された『カスバの男 大竹伸朗 モロッコ日記』を改題し、再編集したものです。
なお、文庫化にあたり、銅版画作品をあらたに収録しました。

Bushdog's Tumblr

岡啓輔「月刊 蟻鱒鳶ル売り鱒」 on Twitter

画像やテキストを借りてきて、適当に貼り付けるだけ。
コラージュ的、スクラップブック的記事作成、楽すぎる。
楽だと、日々の記事が長くなる。
ということは、現在の月ごとに1ファイルでは、すでに読む気になれない長さだろうに、さらに長くなる。ファイル内で一貫したテーマを追ってるわけではないから、対検索エンジンでもさらに劣化。

楽なのはいいが、現状、読者はたぶん自分だけ。
どう考えたらいいか。

The Sport of Grenade Throwing - Neatorama

2023.6.23 fri. link #詩

赤い少年、からし色の少年
青い背中の三叉路の野原に
たんぼのきつね

河童、たんぼの赤い三毛の狐
それから村の子供たちは
飛び去る
その子供たちに仕える老いた女狐

見せかけの風船

赤い自分が、若い女と、若い酒を持った年寄りが、野原で
たすきを掛けられ
赤と村のフィールドにも、ある時はたんぼにも
人のふりをした盗人

2023.6.22 thu. link #コラージュ #スクラップブック #生成AI #詩

わからなくても貼っておく。
それがコラージュとかスクラップブックというものではないか。

生成AIに“生成AIが作った文章”を学習させ続けるとどうなる? 「役立たずになる」と英国チームが報告:Innovative Tech - ITmedia NEWS(原論文: THE CURSE OF RECURSION: TRAINING ON GENERATED DATA MAKES MODELS FORGET

生成AIの出力は総じて凡庸。そのことは使ってみればわかる。
世の中の表現物を、真偽、善悪にかかわりなく集めてすべて学んでしまうのが生成AIであれば、その出力が平均値的なものになるのは当然。その上で、人間に比べてはるかに生産性の高い生成AIの出力が世の中に蓄積していけば、それらに学ぶAIはさらに凡庸化するしかない。

日々のエントリーをスクラップブック化すること。

ウー・ムー・シンの歌:
I will die on a certain day.
Wu Mu Xin day.
Wu Mu Xin day.
Wu Mu Xin of the crow.
6月1日記事

ウー・ムーシン、カラスに殺される
呉穆申の日
ウー・シンの日、呉申の
ウー・シンはその日のうちに死ぬ

私は死ぬ、私はカラスになる
日に呉穆申、日に呉新

私は今日も、ウー・シンはカラス
ウー・シンの日
ウー・ムーシンの日
カラスの呉穆申

2023.6.21 wed. link #詩

ハートは馬の鞍にクリンチする
警察署に来てください、ハートさん
それは鹿です、長官

署長は机に写真を広げる
若い山賊の写真を三枚選んでください...

そこに女性がいます、立ち入り禁止のロスアラモス米国保護区ヤングコーン
「私の供託金を返してください」
「ほら、ハートさん、彼らは勇敢に死ぬんだよ」

汽笛、メキシコ北部のムーンカー
場面が変わり、ハートの伝記が読み上げられる

source:

2023.6.20 tue. link #詩

角子の屏風に扇が壊れ、衣が休まる
歌仙の本、屏風に扇壊れ葵の花と何吹く萌黄の旅と前後して蓮の花屏風の谷の日背に坐りてほとぎす木曽かな
下は水のホツジと言う
ほとぎすにと木曽の水
うたた寝のほつれほつれ
郭公の本、蓮台の谷

2023.6.19 mon. link #詩論

まず壊す。それが出発点。

by Google Lens

壊すと、それまでなかったものが生まれる。あるいは、見えてくる。
Death is the man's.
真偽はわからない。
男は死んでしまったのである。
死者の死は死者本人のものか。
死が所有可能だとしたら、死者以外の者にとってだろう。
だから真偽はおくとしても、
Death is the man's.
事態の核心を指すセンテンスではないか。

まず壊す。それが出発点。
できれば well-made にしたかったのである。したいのである。できることなら。
そのほうが多数によろこんでもらえる。
できないから ill-made に向かう。それならできるだろう、と。
目的としての ill-made? それとも、手段としての?

同前

2023.6.18 sun. link #詩

待つこと、それは、その全体と年、私は春の四十千年。
こんなにも長い間、いい加減な決まりで、春を生きていても、何かをするのは、救済のための夢のための年齢のようなものです。

人だけの待ちぼうけ。
年月の中で、また春になれ。

2023.6.17 sat. link #詩 #自動生成

モンタギューのハリアー 渦巻きからの手紙
ボーリューセントのモンタク卿が昨夜、二人の男とともにハンプシャー州アミントンに現れた。彼は1992年8月26日にサウサンプトン郡を犯した罪で起訴された。
1912 年 10 月にサウスランドのキャンティがここに到着
アファベルズ
「容疑を否認します」
そうだね
ハイパワー車に放置
人間が何をしようと、その欲望、恐怖、怒り、喜び、喜び、不快は、ただの紙切れに過ぎません。
MS。あなたをそこへ連れて行く

factory:
Google Lens

source:
Cutting Edges: Artist's Scrapbooks

2023.6.16 fri. link #詩

猟犬の頭で、持ちつ持たれつ。
馬は一団。
猟犬が部屋をハストニッシュ、殺しのボードで頭を堰き止め、サドルの腕を打ち砕く。
カラスの警備員、カラスの散歩、猟犬の頭で、持ちつ持たれつ。
雉の中に二人、小さな体を食い破る。

雉の警備員、サドで頭を打ちつ。
馬は一団。
雉の散歩、持たれつ持たれつ。
雉の腕を堰き止め、猟犬の警備員、小さな体を打ちつ持ちつ。

2023.6.15 thu. link #引用 #ベンヤミン

引用符その他で明示することなく引用して、地の文と混在させること。

そこでは、「引用符なしに引用する術」が「文書のモンタージュ」として展開される――柿木伸之『ヴァルター・ベンヤミン』

絵画でいえばコラージュ。
スクラップブックも同類。

この仕事の方法は文学的モンタージュである。私の方から語ることはなにもない。ただ見せるだけだ。価値のあるものだけを抜き取るというようなことはいっさいしないし、気のきいた表現を我がものにするようなこともしない。そうではなく、ボロ、くずに――それらの目録を作るのではなく、ただ唯一可能なやり方でそれらに正当な位置を与えたいのだ。つまり、それらを用いるというやり方で。 ――ベンヤミン『パサージュ論』[N1a, 8](岩波文庫『パサージュ論 ((三))』)

「この仕事」とは『パサージュ論』自体を指す。

引用符のない引用は当 zakki でも一時こころみたが、引用符や字下げの便宜には代えがたく、やめた。もういちど試してみるか。

スクラップブックはひとつの理想か。
スクラップブックにおいては、どれもが引用でありえ、どれもが地の文でありうる。主客の別がない。

2023.6.14 wed. link #詩

私は犬の頬と顎を手に入れる
私がエドモン・ダンテスであるとして

騙されたメルセデスに
騙された私に

私が当のダンテスであるとして
頬と顎が犬?
日本でも知られた巌窟王の

2023.6.13 tue. link #詩

彼は泳げないようだ。
海じゃなかったんだ。
私が気づいていないだけということですか?
しかし、泳げるようになったらと。

彼はあなたが知っているどちらかの小さなところに落ちました。
しかし、幸せなことに気づいていなかったとき、彼にとって手は海のようなものでした。
あなたは何もわかってない。
私はあなたが恥ずかしいと叫んでいます、泳ぐことを知っている海ではありません。
そこまでのことは知りませんでした。
意地悪じゃなかったんだ。

やりますよ。

私は男の子です。
あなたは小さな男の子です。

彼は落とされた彼を小さな男の子に落としました。
私は以前からあなたが私のことを知っていました。
やりますよ。

一人が彼を落とした。
彼は彼を落とした。
それは保持していました。
いつ震えているのか分からなかったくらい怖いのであなたは落ちています。
私は男の子ですが、その子は私ではありません。

私はそれが世界の海です。

2023.6.12 mon. link #詩

それは... 私は行かないよ。
おい、しかし、私はそれが良いことではない、呼び出します。

おいおい、でも半分侍が送られてるんだぞ。

半端な急ぎじゃないんだよ。
でも、急いでるんだよ、そんなの。

でも、劇中ではね。

まあ、それでも......。
じゃあ、さっきのシェアは。

いつもなら、劇中ではそうなんです。
でも、急いでいるときは、問題があるんです。
論文を書くんです。
お芝居じゃないんです。

通常、しかし、私は急いで、行かないだろう。

じゃあ、それは... 私は急いでいない、それはまだ問題である。

なんだ。
なんだ。

2023.6.10 sat. link #詩

犬が吠え、水の流れる音がする
「桃源だ」
「何か言った?」とガール

山なのに?
川の漁師さ

名はジェームズ。西側のスパイ。
ニワトリは出るか出ないか。

出るとしたら、いつ出るか。
国際政治の舞台にあふれ出すニワトリの大群、またはそれとなく横切る一羽。

ニワトリを出すか出さないか。
出すとしたら、いつ出すか。鳴かせるか。鳴かせるのがさきだろう。

「桃源郷」
「なんのこと?」
この辺はそう呼ばれてる。標高は海と同じ。
「なんのこと?」と繰り返す。

2023.6.9 fri. link #詩

おれはきのこで

と、そいつはきのこ自身の妄想してるのがきのこで
道や野っ原や林や森できのことは想像できのこになりかけて

それでも人間の妄想が野生化した姿にちがいない

半分きのこで
おれは安心ばかりしてるのがきのこ自身の妄想だから、そう外見で割り切っていいものか、その時すでにおれはきのことは想像できのこでありながら

それでも人間は自問する
経験から、そいつはきのことは想像できて
全身に毒が回って

それでも人間だったか
人間は自問する
それとも人間は自問する
そのくらいのこので
と、その時すでにおれは人間は自問する
そのくらいのこの自家中毒にもならず
経験から、そう外見で割り切って

人間だったか

と、そのくせに
おれは人間だったか

人間だったか
と、そいつは

2023.6.8 thu. link #詩

はじめに picker がやってくる。
夜中に人が落としたかもしれない、金目の物や宝石類を求めて地面を探し回る picker。
それから閑人がやってくる、働かなくてもいい閑人たち。
連中をどうやって博打に誘い込むか、彼らの財布を狙って与太者がやってくる。

それから売れっ子ホストがやってくる、両脇に女をかかえて。

次に o'clocker がやってくる。
それから戻ってくる、閑人になって。

2023.6.7 wed. link #詩

エタノブリッジ型ノルダマントケージ炭化水素の愛称はバスタード。
属の総称がエタノブリッジ、またはノナシクロドコサン。
どちらも建国当時のインドの都市ハイデラバードの形象に由来する名称という。
当時すでにノルダマンタンは構造化されていたのだが、その際の関係ケージ炭化水素が、構造的なエタノ橋の野郎タイプであった。
1993年、Mehta の古名がエタノブリッジのケージ転位である。
1993年、Mehta の古代人。

門外漢にとって専門用語は、謎めいて聞こえる、見える。
謎めくとは詩的ということでもある。

Molecules with Silly or Unusual Names

具体的にはハイデラバードの炭化水素ケージに由来。
ケージ転位の用語もそこから派生。
たとえばアンダン。
その関係のファクチュアルゴルコンダン。

2023.6.6 tue. link #雑

スクラップブックとは何か。
世界の私有化?
それとも個人の私有化?

Peter Beard のスクラップブック Diary を Google 翻訳で和訳


脅威を乗り越える・シールストロン
ジム・ドリンクハウス
本と
別館ハウス ****
水スピジェット、
yardens
The Suneed it temple area (LAST STOP ON
ーター・ビアード映像展 楽園からの最後の咆哮
nouitecture/dens, basime, strewn sun ald
ラント ファイン&ウィッグ
と中の草の
楽園からの最後の言葉


エルストン・ルビッチ監督『ニノチカ』(1939)を観ています。侯爵の宝石をめぐる資本主義と共産主義の戦いらしい。主演はグレタ・ガルボ。―メルキド出版 on Twitter

ロシアの大公女スワナの忠臣で現在はホテルマンとして働く煙草売りが、女性用の奇抜な帽子を女たちに勧めている。
懐柔される三人の役人。
懐柔された三人と落ち合ったニノチカは、ホテルのショップで女性用の奇抜な帽子を見て、
「あんな帽子がシルクハットになる」
侯爵の宝石をめぐる資本主義と共産主義の戦い。

2023.6.5 mon. link #詩 #詩論 #カットアップ

普通に危ない
普通に危ない
大人になって切り刻みついで
普通に危ない

繰り返すと歌になる
カットアップすると詩ができる

目についたものはすぐカットアップする
カットアッパーとして生きる
オリジナリティなんてものを信じてはいけない
いや、信じていい
オリジナリティは外からやってくる
内から湧いてくるのではない

オリジナリティなんてものはすぐカットアップする
カットアッパーとして生きる
オリジナリティは外から湧いてくるのではない
内から湧いてくるのではない
なるほど、とカットアップする

福は内、鬼は外

普通になって生きるのを信じていでに
オリジナリジナリジナリティない
普通に危なってくるほど、信じて生きるほど、信じてくる
大人に危なってくる
オリティなるのでに危ないけないてはい
オリジナリティないけなるのではいけないたものでは外から湧いいけなるのでは
大人に危ない
目に危ない

2023.6.4 sun. link #スクラップブック #コラージュ

スクラップブックというジャンル

Cutting Edges: Artist's Scrapbooks

上は Artist's Scrapbooks というブログから。
Jean-Michel Wicker という作者の Novolino というスクラップブック。
NovolinoPaperwork: A Brief History of Artist's Scrapbooks という本で紹介されているというが、この作品についても作者についてもネット上の情報は乏しいとのこと。

スクラップブックという美術ジャンルがあること。知ったのは今年はじめに見た大竹伸朗展で。この時点では、大竹ひとりで構成するジャンル。
そのうちに Artist's Scrapbooks というジャンルというか、用語というか、表現を知って検索の幅が広がり、いろいろ出会うことに。有名どころではウィリアム・バロウズ、ブライオン・ガイシン。写真家ピーター・ビアードのコラージュ作品 Diary も代表的なものらしい。

手軽にスクラップブックを始めたい、あるいはスクラップする材料がない、そういう人向けの材料集(古新聞・雑誌、写真、カード等)も検索でずいぶんヒットする。
SNS もスクラップ欲求を満たす場か。
名前を忘れてしまったが、後発のフェイスブックに蹴散らされてしまった人気投稿サイトがあった。1ページだけのプロフィール投稿サイトといった趣のところだったが、スクラップ欲求、コラージュ欲求に応えていたのではなかったか。

Diary / Peter Beard (ピーター・ビアード) | book obscura ...

2023.6.3 sat. link #詩

炸裂するヒント
装置でリギングされたザ・ナインミニッツ・バルーン・ザ・バルーン
ダンさえもライツ・ザ・ナインミン
常にダンさえもリグド・カメラ・バルーン

緑フィートでリギング
鋼鉄のバルーンジュネイを仕立て

炸裂するビン・ザ・カメラ・ナイアント
ジャイアントな、夏のスロート

2023.6.2 fri. link #詩

萩正の譜

蚊の糸がボートに当たる
窓の栗の中に虹が、マウンドの上の航海の深みに
マウンドの窓に駆け寄る秋
萩正は難攻不落の壁の空へ飛び出す
声はマウンドの根
故郷のロコモス
蚊の糸が空になった後、根に月のように生えている

蚊の糸のような声は夏のしずくに燃える乾いた川壁の栗が風に吹かれて荒れた歯の根です
ロコマザードライリヴホワイトサマードリップ四季
萩雅史はそこへ渡る、荒歯の航海の深さ、灼熱の夏の夕虹、灼熱の空の私の山弓
男の故郷
蚊の糸が私のマウンドにある
岩の母の虹が水に栗になり空になる
男の病院

燃える空

根の魚の声さえも風に渡る、塚のほとりで月明かりの魚を渡る
蚊の糸がボートに当たる
乾いた川の後の荒い歯の燃える栗の皮をむく
ロコモスの声はルーツのみで登場しませんでした
萩正志、追い打ち船で久里に渡る

蚊の糸が壁に当たる
萩正は遠くの風に乗り込み、しずくの魚を拝み、子規を拝む

2023.6.1 thu. link #詩

カラスがいなくなった後。

彼は一日、棺桶のウー・ムー・シンはセアードによって。
チャンがそれを見たとき、私は姿を消すだろう。
私は鳥がカラスを召喚して死ぬでしょう、鳥が私を召喚して死ぬでしょう。
マダムは静かに、騒がない。

鳥が私を呼び出す。
鳥が私を呼び出すように鳴く。
彼はカラスが再び現れ、新しい庭で死亡する。
奥様、今はお急ぎください。

ウー・ムー・シンが歌ってる。

I will die on a certain day.
Wu Mu Xin day.
Wu Mu Xin day.
Wu Mu Xin of the crow.

時間を越えて、カラスが未来に現れる。

2023.6.7 note.com 投稿
ウー・ムー・シンの歌|mataji