zakki no.28

[2022.11.1 - ]

2022.11.30 wed. link

ヘインズという首がある。
名を名乗っている。
首が人間の名を名乗っているのである。2022.11.242022.11.23

胴体から切り離された首に人格はあるか。
吉良上野介の首は、「上野介」そのものか、それとも「上野介の首」にすぎないものか。
たんに「殺す」だけでなく、「首を取る」のはなぜか。


首のことを考えていて思い出した『千のプラトー』の挿絵。
「中国人なら壁を通り抜けられる」と著者が言ってると聞いて、どのような意味で言ってるのか当該箇所のあたりだけ読んでみたが、理解できず。

2022.11.29 tue. link #詩

谷あいは畑ひらけて、二三四軒の農家見ゆ。
導人は山間の民に似合わず、すべて紅葉ならざるは無し。

「この滝の名は」と問えば、
「狸せしころ、降りかかりし落ち葉なり」と言う。
憎きやつなり。
いろいろのことを問うに、いっこう要領を得ず。
もとより目に一丁字もなし。
年は七七、耳遠し。
山間の民に似合わず、ずうずしき奴也。
やがて流れが急になり、それと同時に路も高まる。

赤城山もこのあたりは、樹木茂る。
「狸せしころ」と言う。
それもほんの三日日、高さにして三四丈。

2022.12.27 done
狸せしころ|mataji|note

2022.11.28 mon. link #詩

自分は
タイムマシンが急ぐ旅ではなんたら
タイムだろう

悪くな、それて
マシンに山道に行かかか

しかるに
マシンが壊れも
悪くなかかまたか
山道に夜のどことるだろうこかぬうこか
悪くな、いつかかせて

眠りを急いでとる
眠りを急ぐ旅ではなんた会うこと思うこと声が急ぐ旅でと思うこと思うちに山道を越えたかまた会う
自分はな、それて
マシンが壊れてな、いつかかまたら

これ↓をオリジナルとする変奏。
タイムマシン|mataji|note

2022.11.27 sun. link #詩論

詩Aと詩Bの関係は、台本と上演結果の関係に似ている。
2本の詩は、どちらも24日に書いた。
はじめに詩Aができて、zakkiで公開した。これを読み返すうちに、なさけないものを書いてしまった、ということで差し替えたのが詩B。

AとBを、出来・不出来とは別の観点から見ること。
詩Aを台本とし、
詩Bはその実演記録、あるいは歌ってみた結果、
そのような関係として。

ダーク・ザ・ダークも同じ試み。

Aを台本とすれば、それを読み上げる、すなわち朗読という実演形態につながる。
じっさい、詩人は朗読ということをする。
詩人の朗読という行為が、聞き手にとっておもしろいものとは思えない。それは読む側の詩人にとっても同じなのではないか。
朗読にはそれなりの技術が、したがって素養や訓練が要るだろう。
詩人にとってそのような能力は必須ではない。詩人とは書く人であって、読み上げる人ではない。あるいは、詩という表現形式が生まれた昔にさかのぼれば、作る能力と歌う能力は一体だったのかもしれないが。

朗読はうまくいかなかったが、節を付けて歌ったら歌えた、それで歌うことにした。そんなことを誰かがが言っていた。七尾旅人だったかもしれない。

2022.11.26 sat. link

自分の店に連れて行った人か、連れて行かなかったか見知らぬ人が、
じつはアフリカの魔術師で、背を向けるや姿がない。
そんなものさ、とアラジン。
彼を怠惰に見放さざるを得なく、背を向けるや姿がない。

(草稿を刈り込んでいくと、そのうち何もなくなってしまうのは
よくあることで、目下の局面がそれ)

事実、その通りで、アフリカの魔術師で。

2022.11.25 fri. link #詩

ダーク・ザ・ダーク・ザ・ダーク・ザ・ダーク・ザ・ダーク、あわてて驚いて
ダーク・ザ・ダーク・ザ・ダーク、彼は驚いて
彼がもっと困難になる前に
雨が降るのを目立たせるため
ダーク、彼は驚いて
雨が降るのを目立たせるため
ダーク・ザ・ダーク、彼は驚いて
どこへ行くのか
どこへ行くのか、人に知られた昔の町で
泥だらけの人格のように
暗がりに埋もれていて
泥だらけの人格のように
暗がりを馬車に乗せ、より静かな西側で
ダーク、彼は驚いても、背は高そう
雲に気づきましたか

ウォーターレスの時間のままに
暗がりに埋もれていても、背は高そう
どこへ行くのか、人に知られた昔の町で
泥だらけの人格のように

再び何を壊すのか
雲に気づきましたか
再び何を壊すのか
雲に気づき、気づき、気づき、気づきましたか
雨が降るのを目立たせるため
暗がりに埋もれていても、背は高そう
どこへ行くのか
暗がりを馬車に乗せ、より静かな西側で
彼がもっと困難になる前に

材料: 暗がりのダーク|mataji|note

2022.11.24 thu. link

昨日の詩は、いったん公開したものが気に入らず、差し替えた。
差し替え前の版は次のとおり。

私は首です、名はヘインズ。

突然、三つの彼らの顔。
歯ぎしりにあわせて、音とともに接着された不運なもの。
犬だったのか、横顔に硬い巻き毛が生え。

伸びた髪が食いしばってある。
やけどで焼かれる音がする。
知らない犬がこちらを見ている、三匹で。

やけどで焼かれる音がすべてであるような、
まるで三匹の犬のような犬。
突然、三つの彼らの頭いっぱいの顔。

人の名を名乗っているという。

いま読み返してみれば、これより駄目なのもしょっちゅう出してるではないか、うろたえなくてもよかったのに、とは思うが、力強さでは差し替え後がまさる。修正の方向はまちがってない。

2023.2.2 追記
うろたえるようなことだったのか。
勢いだけを見れば、書き換え後が勝るが。

2023.6.11 追記
書き換え前と書き換え後の優劣は、いちがいに言えない。
両者の関係は、オリジナル版とライブ版(朗読や歌唱)にあたる。27日記事を見よ。

2022.11.23 wed. link #詩

知らない犬がこちらを見ている、三つの彼らの頭いっぱいの顔。
歯ぎしりにあわせて、音とともに接着された不運なもの。
人の名を名乗っている、三つの彼らの頭いっぱいの顔。

やけどで焼かれる音がすべてである。
やけどで焼かれる音がすべてである。
歯ぎしりにあわせて、音とともに接着された不運なもの。

伸びた髪が食いしばっているという。

突然、三匹で。
突然、三匹で。
突然、三つの彼らの頭いっぱいの顔。
突然、三つの彼らの頭いっぱいの顔。
私は首です、名はヘインズ。
犬だったのか、横顔に硬い巻き毛が生え。

私は首です、名はヘインズ。
犬だったのか、横顔に硬い巻き毛が生え。
やけどで焼かれる音がすべてである。
知らない犬がこちらを見ているという。
伸びた髪が食いしばってあるような犬。

突然、三つの彼らの顔。

私は首です、名はヘインズ。
人の名を名乗っているという。
突然、三つの彼らの顔。

2022.12.19 done
私は首です、名はヘインズ。|mataji|note

2022.11.22 tue. link #詩

細い棒で頭をたたく、雲や鉦をたたき、昔の戯曲を歌う。
太鼓をたたき、昔の戯曲を歌う。

田楽街の隣は笛吹街。
人混みのたびに、劇場の建物のように、劇場の建物で。

ネズミの芝居を演じて踊る。
細い棒で頭をたたく、雲や鉦をたたくと音がする。
音はすべて劇中に閉じこめられる。
ネズミの仮面をかぶり、衣装を着て、ネズミが袋から出てきて、仮面をかぶり、小さな衣装を着て、建物のように、ネズミの入ったケージを持って踊る。
細い棒で頭をたたく、こする。

太鼓をたたく、すると音がすると音がする。
蛙のてっぺんをたたくと音がする。

人混みのたびに、ネズミが袋から出てきて、建物のように、劇場の建物に背を向けて登り、小さな衣装を着て、仮面をかぶり、人々は立ち上がる。
太鼓をたたく、こする。
人混みのたびに、劇場の建物のように、劇場の建物で。
笛吹街でネズミの仮面をかぶり、衣装を着て、建物で。

太鼓をたたき、ある男が木箱を持って踊る。
蛙のてっぺんをたたく喜びなど、宮廷商人の歌詞や音楽。

2022.12.14 done
田楽街の隣は笛吹街。劇場の建物のように、劇場の建物で。|mataji|note

2022.11.21 mon. link #詩

夜、妻が来ると、馬は言った。
馬は繰り返し尋ねた。
フルメイクの若い女が草を踏みしめながら道を渡って、別の日にお金を出してはどうだろうと言う、彼女は不死身なのだから。

馬は道に迷ってしまう。女も自白する。
前半、ときおり金が必要になる。
そのようなストーリー。
馬は金をくれ、妻が来るから。
彼は、彼の痕跡がなく、何でも頼めると思われている。
彼はまた、彼の皮膚は赤く、火、皮膚は赤く、体全体の細かい毛、異なって、棺桶にもどります。
あなたは「狐では短すぎる」として、誰もいない玄関で待つ。
夕陽が差し込んで赤黒い。

女は不死身で、スタイルも可。
夜、馬は自分を馬と思っていない。
――――
アイ・ワンダー・グローブ
千鳥と千鳥

千鳥と冬の蔦の足
さあ、廊下静かに風の夜
立ちはだかる波とグローブ
あの風の夜の千鳥屋
立ち遊び
千鳥とひっそりと冬の蔦

早い冬の根で荒れ狂う波に
花は禅の花、月は月

2022.12.13 done
花は禅の花、月は月|mataji|note

2022.11.20 sun. link #詩論 #ナンセンス #詩

シリトリ法

鼠は身体を黒く染めている
黒くて、まるまっちくて、ちっちゃい。
ちっちゃい子たちは鼠がお手本と思う
いざ、手本。
猫はお手本じゃない、いざ、子どもたちを食べるから
猫はすなわちこわい小母さん。

種村季弘『ナンセンス詩人の肖像』

上はある分裂症患者の作という。
前の行の語を使って新しい行を作っている。

雨あがりの道をかえる
蛙いっぴき とびはねて
寝ている仲間にとびかかり
刈り込みのなかで 喧嘩する
すると間もなく一滴の
木の上から雨粒ふり

下をむけば あらっ さっきの蛙
帰る道々 蛙と共に 藤富保男「雨曜日」

行末の二音を使って次の行をはじめる。
蛙だけは「かえる」の三音でつなげている。
――――
臆病者の濡れ裏町
早妻風の夜
梅の花
桜川は外の足音
秋のかな
早稲田の妻 佳奈

秋のかんな
かんなの根を貫く曼陀羅

臆病な風の夜
ぶつける波や寺の霜を開けに来たり
乳母の去る哉 冬

2022.12.22 done
秋のかな乳母の去る哉|mataji|note

2022.11.19 sat. link #詩

芭蕉がじろりと自分をにらんだ。
「月に深みつめる」
と言う。お題だろうか。

ことにあろうに冬の月かな
雁に混じる沼太郎
あれ、句にし勢田の橋

どれも駄目だという、
認めらしぐれ、句になの声、と。

2022.11.18 fri. link #ナンセンス #瓢鮎図 #別役実

たとえば、ひょうたんなまずのように。

ここでひょうたんなまずは、寓意性によって出合いを保証され、同時にその出合いによって寓意性を破壊し、単にそれぞれの奇妙な出合いとして独立しているのである。 別役実「ひょうたんなまず」(『ユリイカ』1981年5月号)

別役はある絵について述べている。実物や画集を前に書いているわけではなく、池大雅だったか誰だったか忘れてしまったとも、流れなのか池なのかおぼえていないとも言っているが、話の内容からその絵は如拙「瓢鮎図」と見て間違いない。

瓢鮎図 - Wikipedia

別役ははじめ、男がなまずに酒を飲まそうとしているのかと思ったという。だがそうではない、と思い直す。男はひょうたんでなまずをつかまえようとしているのではないか。だが、ふたたび、いや、――

私は暫くその絵を眺めて、そして感動した。なまずも特に一生懸命逃げようとしていないし、男もことさら一生懸命つかまえようとはしていない。そこにはなまずがいて、ひょうたんがあって、男の「つかまえてみようかな」とか「つかまえられるかな」とかいうぼんやりした意識を通じて、ひどく遠まわしに「関係」させられているに過ぎない。つまり明らかにここでは、《ひょうたんなまずを押える》という寓意性よりも、むしろ、ひょうたんという言葉となまずという言葉の結びつきがかもし出す、奇妙な感触がたのしまれているようなのである。

寓意性が、ここでのキー。
この絵にはわかりやすい寓意が仕込まれている。ひょうたんでなまずを押える困難、なんと間抜けな、という揶揄につながる寓意である。
だが、と別役は思い直して、絵を眺める。
ほんとうのところ、画中の男は何をしているのか。
捕らえる者と捕らえられる者という切迫は、ここにはない。
なまずは懸命に逃げようとはしていない。
男もまた懸命ではない。
はじめに別役が思ったように、男はなまずに酒を飲まそうとしていたのかもしれない。
あるいはまた、なまずにひょうたんを見せようとしていただけかも。
いくらでも想像がばらついてしまうほどに、男の体勢からうかがえる意図は確定しがたく、中途半端である。
その中途半端なものが主題として真ん中に置かれていることをどう考えるか。

別役は言う。「ひょうたんという言葉となまずという言葉の結びつきがかもし出す、奇妙な感触がたのしまれているようなのである」、「ひょうたんのもつ奇妙な形態と、なまずという魚の、これまた奇妙な姿態との結びつきが、逆にその寓意性を破壊しつつあるようにも思える」と。
この見方にしたがえば、ここでの寓意――ひょうたんでなまずを押えるという困難――は、ひょうたんとなまずを出会わせる役割を終えると、かれらの奇妙な存在感によって背後に追いやられてしまう。冒頭の引用にもどれば、「破壊」されてしまうのである。

寓意とは意味である。その意味が壊れてしまう。あとに何が残るか。意味は残らない。無意味である。
寓意性によってひょうたんとなまずを出現させ、その出現によって彼らの存在根拠であったはずの寓意性を破壊し、無意味=ナンセンスを出現させる。「瓢鮎図」に仕込まれたこのからくりを、別役は「用心深い手続き」として次のように言う。

この場合の「用心深い」とは、現在の我々の考え方である。当時この文人画を愛好した多くの文人たちは、現在の我々がそうであるように、ここにある「ナンセンス」を楽しんだに違いないが、我々ほどそれを論理的に探り当てたのではなく、極く自然にそうしたに違いないからである。つまり当時は、「意味」から「無意味」へ、「無意味」から「意味」への交換が、現在よりはるかにゆるやかに行なわれていたのであり、しかもそのそれぞれが、相互に損ない合う形ではなく、相互に養い合う形で行なわれていたのではないだろうか。
 現在の我々は、このひょうたんなまずの出合いの直接性を、それを保証した寓意性があらためて損われる過程でしか見出せないので、この手続きを用心深いものと見るのである。

ここは劇作家としての別役の見方である。
別役は無意味=ナンセンスを良きものとしている。
その良きものを作者はどう実現するか。「瓢鮎図」の画家はどう実現したか。
この手続きには学ぶべきものがある、と別役は言う。ただし、

事物を、「意味」の呪縛力から解き放とうとする力は、有効ではない。その呪縛力を逆手で利用し、その中に入り込もうとすることによって、それ自体を「無意味」にすり変えてしまう力が、有効なのである。もっとも、こんなことは論理的に理解出来ることではない。私は、この間のいきさつを、「たとえば、ひょうたんなまずのように」という言葉で、理解している。もちろん、この言い方もまた要領を得ないが、しかしその何となく奇妙な語感が、力で強引にではなく、得体の知れない巧妙さでぬるりとこちら側に抜け出るような、或る方法を暗示している気がするのである。

残念ながら「或る方法」とだけあって、具体的な説明はない。
別役の導きを離れて言えば、絆あるいは関係の抑制ということではないか。
「瓢鮎図」の画家は、画中の男の体勢をどうとでも解釈できる中途半端なものとすることで、捕らえる者と捕らえられる者という絆を切り離したかに見える。その作用として、この絵を見る者は、解放、自由、笑い、それらに似た感覚を味わうことになるのではないか。

たとえば、ひょうたんなまずのように。
とりあえずこれを解としたい。あるいは終わりのないとりあえずなのかもしれないが、とりあえずこれを解とする。

2022.11.16 wed. link #詩

自分はな、それも
タイムマシンに山道を越えたかせて
悪くなんたかかぬうして
山道に行かかかったるこか
悪くなかかまたかかまた会うちに夜のどこと思う
マシンが壊れて
タイムだけある

眠りを急いでとると声が急ぐ旅では
マシンを越えたら
だってな、いつか
また会うこともあるだろう

誰も悪くないのに
タイムマシンを枕に夜を明かす
自分はここらで、壊れて道をふさいでいる
急ぐ旅人の一人の峠に
マシンをまたぎ越えたらこれか

2022.11.27 done
タイムマシン|mataji|note

2022.11.15 tue. link #詩 #コラージュ

私たちは星を見上げる
彼らは見上げる人間の首のためにあり
空の世界を母として
地平線の彼方まで、愛も無く海の暗さが秋の夜長を繰り返す

天の川が地上を流れ
彼らは成長し、ときに彼らは秋の収穫であり
脂肪の星が眼にしみる
私の秋、いのちと想う脂肪の星の

2022.11.14 mon. link #コラージュ #詩論

TOMO on Twitter

週刊誌から作る脅迫文
あらかじめ文章(脅迫文)があって、それに合う文字を探してくるのではない。
まず、使えそうなフレーズをいくつも切り出しておく。
それらのフレーズを眺めながら、切ったりつなげたりして新たなフレーズを作り文章にしていく。

与えられた材料との会話。

2022.11.13 sun. link #詩

カーテンのように、確実に、日よけの目の解像度。
私の没頭した、日よけの解像度。
思考の有毒なものが立って、音のささやき声があり、空中に。

それほどの死んだ影の目。
思考が停止しました、頭。

2022.11.12 sat. link #詩 #パルチザン

いるのいないの、それとも猟師、あるいはそれはパルチザン
マリアは村でわび住まい
誰なの、あなたは
その場かぎりにやって来て
行方もなんだか成り行きまかせ
誰なの
マリアは村でわび住まい
いるのいないの、あるいはそれはパルチザン
名前もその場で現れては消え
サルヴァトーレと名乗って会いに来る
誰なの、山賊さんなの、あるいはそれとも猟師、あなたは
その場で現れては消え
いるのいないの、山賊さんなの、山賊さんなの
その場で現れては消え
その場かぎりなら
名前もその場かぎりなら
行方もなんだか成り行きまかせ
いるのいないの、あなたはいないの
名前もその場で現れては消え
それとも猟師、あるいはそれはパルチザン
そうかと思えばジュリアーノ
行方もなんだか成り行きまかせ
行方もなんだか成り行きまかせ
いるのいないの、あなたは
いるのいないの、あるいはそれはパルチザン

2022.11.11 fri. link #詩論 #伊藤比呂美 #町田康

改行の藻屑

町田 詩人には時間軸や時間差みたいな感覚がないように思える時があるのですが(…)、例えば、何かの事件があったとします。小説なら、事件発生から真相に至るまでの間をくどくどと書くわけですが、詩では、その過程が改行の藻屑となっているように思えます。
伊藤 その過程の部分を書いてしまうと、詩ではなくなってしまいますからね。やっぱり私たちは、飛翔能力があるから詩人なのであって、それをなくしてしまったら飛べない鳥になってしまう。
町田 でもそうすると、読んでる人は、その文章が何を言ってるのか分からなくなってしまいませんか。
伊藤 そうなんですよ。私は、まず一行はちゃんと意味は通したい。その一行にちゃんと意味があれば、次行はどういうふうに繋がっていてもいいと思って。
伊藤比呂美+町田康『ふたつの波紋』

伊藤は詩人として語っているが、ここでの町田は小説家あるいは歌詞を書く人として。
――――
幸せによる支配ということ

「ハッピークラシー」は「幸せHappy」による「支配-cracy」を意味する造語。誰もが「幸せ」をめざすべき、「幸せ」なことが大事――社会に溢れるこうしたメッセージは、人びとを際限のない自己啓発、自分らしさ探し、自己管理に向かわせ、問題の解決をつねに自己の内面に求めさせる。それは社会構造的な問題から目を逸らさせる装置としても働き、怒りなどの感情はネガティブ=悪と退けられ、ポジティブであることが善とされる。 ハッピークラシー | みすず書房 via Bushdog's Tumblr

幸せでなければならないという強迫観念。
90年代くらいからか。
浜崎あゆみが応援歌みたいのを連発してたころ。

2022.11.10 thu. link #詩

アピカルコニウム
アピカルコニウムチルコニウムチルの末に作ったビスム

「苦心の枯れか、拾え
万事それか、ひそかに作った

「何がそれか、拾え
こぼしまったく草木の工場

主人の枯れた無定形セレニウム
苦心のビスム

「何がそれか、拾え
蒼鉛とジルコニウムに

2022.11.9 wed. link #詩

庭の柚子の実は、
いつかは他人のふくらみを林檎に、
庭のもぎ立て。

ものよりもたっぷりと持ち伝えていない、
素朴を栗に授けた秋は、
外のもぎ立て。

柚の木の梢高く柚子を数えるなどは、
わびしい風味をたのしむ人の振る舞いとも覚えない。
油断もすきもない。

まった、軽い憂鬱を柿に、苦笑いしたときほど、
他でもない香気あり。

2022.11.13 done
庭のもぎ立て、外のもぎ立て|mataji|note
――――
その地球もどろうとしているの到来を前に行くあわているの到来を前に
ほかっているの到来を前に
ほかった雁のだが、春の群が
あているの群が
あわているとすれば
その群が
あているの群が
見れば、
その群が
ほかに
見れば
月にもガス化した
その群が

2022.11.8 tue. link #詩

噛まれたら噛み返す
噛まれなくても噛む

その月よりも大なる月が出て
七割がたは犬だろう
外に出て空でも眺めるかという巨大な月蝕が
夜空をさえぎるのを
噛まれても噛まれなくても
いよいよ噛み返す

かくて時刻ともなれば
潜伏中の犬素が発現
その月蝕で夜空をさらに広々とさえぎるだろう
なにもかも

2022.12.18 一部修正してnoteに done
噛まれたら噛み返す、噛まれなくても噛む|mataji|note

2022.11.7 mon. link #詩

猫なら。
私はあなたにそうすることができました。
ああ、そしておろか。

私はあなたにほんとうに猫です。
それなら私は、あなたに猫だっておろかしてください。

ああ、あなたのことをほのめかしているおろかは、ほんとうに猫だったのです。
私があなたにそれを伝える。
やあ。やあ。

2022.11.11 done
猫なら|mataji|note

2022.11.6 sun. link #マルセル・デュシャン #詩

歌もその絶望も赤い歌だけが残った、炎。
その盆地では、レンガの夢が、盆地の子守歌。

砂漠のクラスは、乾燥した噴水、乾燥した都会です。
道化師がパイプを吹いている間、酔っ払いは苦味の中であなたの地球の遊びに吹き飛ばす。
ほら、めまい。
そして飢えてる。
――――
デュシャン「遺作(Étant donnés)」の説明図
Marcel Duchamp – Étant donnés: The Deconstructed Painting | Toutfait Marcel Duchamp Online journal

デュシャン専門のオンライン・ジャーナル「Toutfait」内の論文から。
図は哲学者リオタールの書からという。各部の説明は論文著者が付加。著者はこのうち画面(Pictureplane)と名付けた部位を作品の核としている。

先に見たレプリカの写真とは左右が逆。

Ronald Jones on “De ou par Marcel Duchamp par Ulf Linde” - Artforum International

2022.11.5 sat. link #詩

天使だという
誰にも負けるはずはないという
結果はただマントルピースの文字盤を見ろという
時計台の?
そうだろうな

酒が入っている
足もとから少しずつ注ぎたして
昨夜のうちに膝を越え、股を越え
今朝は腹までいっぱい

天使になりかけている
だからか頭が暑い、内側が
――――
tauta melonta
melonta tauta
――――
峠の用心棒
大用心棒、小用心棒
――――
売春婦の妻が病気だったので、彼の重い、彼の家族、その母の家族、母の家族が今、家族、なぜ彼女が怒っていたのか、名はチェン、あなたの叔母を送り出す。

メークが病みつきになり、怒りに満ち、残忍で叱責の言葉を発する。
父は、サンゴが売春婦に妻の生物学的敬虔さを教えるために彼を泊めたとき、彼女も、ダックの売春婦をチューンしていた、と。
兄は、前進する彼女の妻でした。

老人の家。
妻はドアを開け、彼は前進する。
――――
ほら、そこの、サボテンといえばメキシコ
赤い赤い花が咲いたよ、ビバ
サボテンのとげは痛いよ、ビバ

ここはメキシコ、サボテンの陰に
風が起こって、絞め殺さんと、卑怯至極のずるいやつ
黒くて硬い針のとげは痛いよ、ビバ

銃をかついでやって来るのを
かわいそうだが騙し討ち、それとも風が返り討ち
勝負のゆくえは婆ァ次第
なに、婆ァ?
ほら、そこの、サボテンの陰にもう一人

赤い花が咲いた
サボテンのとげは痛い、ビバ

2022.11.16 done
赤い花が咲いた、サボテンのとげは痛い|mataji|note

2022.11.4 fri. link #マルセル・デュシャン

マルセル・デュシャンの「遺作」は、立体物の立体性を立体視する装置と言える。
ならば、人間の目と同じ働きをする装置ということか。
実物を見てないから、以下は推測だが、「遺作」は人間の目と同じ働きをするものだろう。
デュシャンはなんのためにそんなものを作ったか。

Etant Donnes — Blog — Geoff Harrison Arts

人間の目は(実際は脳の働きだが)立体物を立体として認識できる。
この認識は、右目に映る像と左目に映る像のずれを手がかりに行われ、これを立体視という。
この能力を逆用すると、平面に描いた図を立体に見せかけることができる。
具体的には、たとえば箱をひとつ用意し、人が目をあてて中をのぞけるよう穴を2つあけておく。ある物体を右目で見たときの図Aと左目で見たときの図Bをつくって、右目でのぞくとAが見え、左目でのぞくとBが見えるように箱の中に配置する。そうしておいて両目でのぞくと、その物体が立体として浮かび上がる。

デュシャンの「遺作」は、それを大掛かりにしたもので、木製の頑丈な扉に2つのあなをあけ、そこから内部をのぞくようになっている。

Marcel Duchamp: Étant donnés

中をのぞいてみる。
すると、上にあげたような景色が見える。
裸の女性が転がっている。死体だろうか。だが手の先に灯の入ったランプらしきものが見える。
性器の位置や手足の比率がおかしいようにも見えるが、ともかく裸体もそれを取り囲む草も立体的に見える。じっさいにも、そこに置かれているのは2枚の絵ではなく、じつは立体物である。立体物を外からのぞかせて立体に見せかけたのである! いったい、なんのために。

装置の全体は、次のレプリカのようになっている。
人は左側の扉から中をのぞく。視線の先に死体かもしれない裸体や草むらが立体的に浮かび上がる。裸体はデュシャンの妻か恋人の型を取ったものという。
扉と草むらをわける壁に大きな穴が穿たれ、額縁的な役をしている。この装置において左右の視差が歴然とした効果をもたらすとしたら、この額縁の存在によってだろうが、具体的にどんなことが起こるかは不明。
右端の壁に、引き伸ばした風景写真が貼ってあり、場面の背景をなしている。これだけが平面である。

Ronald Jones on “De ou par Marcel Duchamp par Ulf Linde” - Artforum International

「遺作」は、この作品の通称。美術をやめて20年もチェスに熱中していたと思われていたデュシャンが、こんなものを作りつづけていた。そのことが知られたのは死の2年前、公開されたのは死後という。
原題は、Étant donnés: 1° la chute d'eau, 2° le gaz d'éclairage...
訳して、「1.落ちる水、2.照明用ガス、が与えられたとせよ」

2022.11.3 thu. link #詩

砂漠のように、砂漠の青のように
鈍い砂のようにです

永遠に踊るスフィンクスであるために

彼女は大波で、人間に向かっているように見え
聖なる偽善者たちと一緒に
まるで人間の苦しむ女のように見え
チャームミネラルの
彼女は長いミネラルの
彼らのスタッフのように
まるで人間に向かって踊っているかのように

役立たずのように
ドレスを歩く永遠のヘビのように
永遠に、それらの長い鉱物の光の古代の揺れる鳥網
彼女の真珠のように波打つように、彼らのステアリングのウェブを踊るように
古代の揺らめきと一体となったユールフのように
極寒のマデンス海を歩くように

彼女のきらめきのない杖を持った使い手のように

2022.12.5 done
ように|mataji|note
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足の爪のように生きること with 多少の度胸

足の爪の伸びるやうに、生きてゐるといつてもいゝ。足の爪をかくして、切つてしまふ習慣の人たちの前で、じぶんの爪が反対に伸びてゆくのをくらべて、貘君は、多少、度胸よくふみとゞまつて、そのゆきちがひに 注意を叫びかけたり、権利を主張したり、抗議らしい顔つきをしたり、いやがらかしたり、時には 少少あわてて取材にとびついたりする。

山之口貘の詩集『思弁の苑』に金子光晴が寄せた序文から
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大正止まり、百年遅れ
というしばり
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革命記念日、か
シャンゼリゼ、の、両側に
月が出ている
人はどうして記念するのか
その日を共有するため? そうなのだろうな、でも何のために

月が出してある
いつもの銀紙で

2022.11.7 done
革命記念日|mataji|note

2022.11.2 wed. link

文字配置のテスト
引用文は本文から2字下げ + 詩文の段落は2行目以降を1字下げ

短剣ジヤツクの一踊り

海洋詩集を書きました

彼は熱が高いと口を听かなくなり、熱が低いと、此んなうはごとを言ふ様になつた。

左半身は痙攣が起ると五分間位続くので、其の間丸で破損した扇風機の様に振動するのであつた。首も左側に…


引用は高橋新吉の詩「しんDA廉吉」から。
ダダの詩はダダ宣言みたいのばかりが知られていて高橋新吉の場合も同様だが、だらしなく流れて行くようなもののほうがおもしろい。詩ではないが、「預言者ヨナ」とか。
文字配置のテストは合格。

2022.11.1 tue. link #詩

二人一人で轢かれたら?
大阪の脂っこい学校の二つを持っているなら、汗をかいた猫は、六月の学校で最も背の高い子猫からハンカチのように、彼が午後に横たわっていたので、かわいそうですか。
落ち着いて謝罪するための袖はあなたが彼の孤独から離れている女性の、誰も彼女をだましませんか?


延びきった世界の足もとに、
見せかけの猫、六月の花嫁。
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なきうすがればかんず
ひさきことりすみずすがへよ
かりゐをやすがへよ

とりけりのしもひとしけれひとりのしたしたの
たしければかながれ
とりなきことりのうおはむ
なしぐれどいちひたしをわびしきことりのはむ

なきことりのしさきえ
かるなしさきえ
なしをわびしきえ
かなしもひをかるならねどいはむ
なしみずにきうすませてあればかはしも

ふるならねどなしみはめ

2022.11.23 done
なきうすがればかんず、ふるならねどなしみはめ|mataji|note