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クオリア卒業
どうもクオリアというのがいかがわしい、 この言葉をタネにインチキが行なわれているのではないか、 とは言っても、 業界事情を知らずに批判するのもどうか、 せめて1冊ぐらいはとクオリア本を買ってまだ手をつけてないのだが、 どうやら、茂木のクオリアを批判しようと思ったのだが、 ネットの世界では、 すでに茂木がトンデモだということは常識になっているらしく、 論点もでつくした感じで、 いまさら、 批判してもしょうがない気がする。 という現状のようで、 ネット上では大勢は決してるらしく、 読む必要もないだろう。 上の記事から結論を借りれば、 意識を物理的過程で説明できないのは、 まだ研究が進んでいないからではなく、 原理的に出来ないのだ。 ということであって、 まあ、 しかたない、 こんなことほとんど考えなくてもわかるだろうに、 だまされちゃうんだね。 卒論代わりに、 自分がクオリアという用語 (厳密には用語の使われ方だが) にいかがわしさを感じた理由を書いておくと、 この言葉をめぐっては 「いきいきとした赤の質感」 とか、 やたら 「いきいき」 が付いて回る。 「凹みがちの放物線」 とか 「きっぱりした線分」 とか 「信頼できる質量」 とか、 学問の用語にいちいち形容詞を付けたりしないものだろうが、 クオリアについてはいつも形容詞付き。 ―― この辺がいかがわしかったのだと思う。 ただ、 そのような理由付け以前に、 すでに危うさのクオリア (笑) が生じていたのではないかとも思う。 クオリアだの、 ロハスだの、 ソリューションだの、 ちょい悪だの (その他いろいろ)、 そのうち慣れて使うようになってしまったり、 用語だからやむなく使ってるものもあるが、 これらの言葉はまずいやらしさのクオリアをもって、 わたしの前に現れたのではなかったか。 不思議なのはこれらの多くが外国語であること。 聞いたこともない渡来用語が、 なぜ自分の耳にいかがわしく響くのか。 意味を調べもしないのに、 なぜ怪しげに思うのか。 そして多くの場合、 なぜその直感は当たっているのか。 意味体系としての言語の垣根を越えて、 音韻の呼び起こすクオリアがあるからではないだろうか。 -category 脳、 クオリア [07-11-23]
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