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人は誰もゾンビである
ロボット工学の前野隆司博士の唱える受動意識仮説 (*1) によれば、 人間はゾンビである。映画やお話の世界はおいて、 哲学の世界でいうゾンビとは、 見かけは人間と同じなのに心を持たない存在のこと。 そのような哲学的ゾンビ (たとえば、 ロボット) は、 「リンゴはおいしい?」 と聞かれれば、 「あなたの切ってくれたリンゴは今までのどんなリンゴより甘くておいしい」 と答えることができるし、 去年の思い出を振り返って、 「あの日の夕日はとてもロマンチックだった」 ということもできる。 しかし、 心はない。 ロボットが (…) 昔体験した夕日が脳裏によみがえって切ない気分だと言ったとしても、そのように (いわばウソを) 言うための機能を満たすようなプログラムが動作している (…) だけであって、 甘さや幸せや切なさのクオリア (*2) は、 一年前にも現在もロボットの脳裏や感覚器官に広がっているわけではないのだ。 このようなゾンビの定義 (*3) から出発して、 前野博士は、 次のような2つのステップで人間もゾンビであると主張している。 [ステップ1] 人間は現に目の前で起きていることに感動したり、 恐怖したり、 色彩や音声をありありと感じ取ったりできる。 ゾンビも 「感動した」 とか 「怖いっ」 と叫んだりはできるが、 実際に感動したり恐怖したりしているわけではない。 なにしろ、 心がないのだから。 この点で人間とゾンビは異なるが、 では過去の出来事についてはどうだろう。 現に今その出来事を目前にしているわけではないという点で、 人間とロボットに違いはないのではないか。 少なくとも、 ゾンビと人間が過去を振り返ってクオリアを確かに感じたと言っている場合は、 大差ない。 どっちにしろ記憶に依存しているだけであって、 間違いなく過去に体験したという確証はないのだから。 過去の出来事については、 人間もゾンビもロボットも、 記憶領域に蓄えられたデータに基づいて、 擬似的に体験しているにすぎない。 人間とゾンビに違いがあるとすれば、現在に関してだけである。 [ステップ2] 80年代に行われたある脳科学の実験によると、 人が何かを意思する前に、 無意識領域が動き出す。 つまり、 「意識」 (意思) と考えられているものは、 「無意識」 の結果にすぎない。 その後行われた各種の追試験も、 最初の実験結果をくつがえすものとはなっていない。 また、 人間の目から入った情報と耳から入った情報では、 脳に届く時間に差があるが、 人間は音と光が同時に発生したと感じたりする。 なぜそのようなことが起こるかといえば、 ゼロコンマ何秒かの過去に起きたことを、 脳が現在起きたことであるかのように錯覚して、 つじつまを合わせているから。 要するに、 「意識」 が現在と認識していることも、 すべて過去の出来事にすぎない。 ならば、 人間とゾンビに違いはない。 [テスト] 前野博士による人間はゾンビであるとの説を荒っぽく紹介すると以上のようになるが、 では、 このような説をあなたは受け入れられますか。 受け入れられるか否かの分かれ目を見るために、 前野博士は簡単なマインドテストをあげている。 そのテストとは、 あなたの恋人が、 実はロボットだったらどうする? というものだ。 もうひとつのバージョンは、 実はあなたがロボットだったらどうする? というものだ。 どちらも大差はない。 あなたにとってかけがえのない、 人間の命というものが、 人工的に作られたものだったとしたらショックかどうかということだ。 多くの人はショックだという。 それは、 人間の心が他の動物とは異なるものであり、 ましてや、 人間が作ったロボットの心などとは異なっていて欲しい、 という、 いわば保守主義によるもののように、 私には思える。 いかがでしょう、 合格できそうですか。 *1 受動意識仮説については、 こちら。 - 西の海へさらり: 心は案外シンプルなものかもしれない *2 クオリアとは、 「感じ」、 「質感」 などの日本語が相当する哲学用語。 《リンゴを見ているときに感じる、 つるつるした赤い皮の質感や、 切り口にのぞく蜜のみずみずしさ、 恋人を意識するときの、 キュンとしてどきどきする感じ》 (前野)。 *3 哲学的ゾンビには、 (a) 見かけは人間と同じだが心を持たない存在、 (b) 見かけだけでなく身体の中身まで人間と同じだが心を持たない存在、 の2つが考えられているが、 前野説では (b) のようなものは想像しがたいとして、 推論の前提から省かれている。 [AD] 前野隆司 『錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だった』すべてはイリュージョンにすぎない。 前著 『脳はなぜ「心」を作ったのか』 で受動意識仮説を一般に問うた著者が、 意識の幻想性にしぼって再展開。 並行して書かれた 『脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?』 とあわせて、 ロボティクスと哲学の世界にパラダイムの転換を迫る問題作。 -category ロボット、 脳 [07-09-09]
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受動意識仮説の歌 2008-01-16
月に叢雲 (むらくも) 花に風吹雪く化生 (けしょう) の黄昏 (たそがれ) ぞ …自分としては化生≒仮象ぐらいに理解して、 これを 「受動意識仮説」 のテーマソングとしたい。 仮象なんだよ、 人は。… |
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