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AIBO 開発者が語る日欧におけるロボット観の違い


ソニーコンピューターサイエンス研究所でロボット犬 AIBO の人工知能開発に携わったロボット工学者フレデリック・カプラン (Frederic Kaplan) 氏が、 スイス放送協会が運営する swissinfo のインタビューに答えて、 日本とヨーロッパにおけるロボット観の相違を語っている。 (上の写真でカプラン氏が手にしているのは、 AIBO の原型となった犬型ロボット)

- swissinfo - EPFLのAI研究者が西欧と日本のロボット観の違いを語る。

カプラン氏が日欧におけるロボット観の違いに注目したのは、 AIBO のプロトタイプを東京からパリのソニー研究所に持ち帰ってデモンストレーションをした際のメディアや人々の反応からだという。

日本ではロボットに対して拒絶感はなく、 熱意を持って受け入れられました。 これに対して、 フランスではこのようなロボットは 「危険」 とか 「子供に悪影響」 などと言われ、 理性的でない、 感情的な拒絶反応が多かったのです。

多くの人はこの差を、 テクノロジーが日本人にとても重要だからだと言いました。 私はそうではなく、 西欧では人間性にかかわる哲学的問題として捉えているのに対して、 日本人は単なるテクノロジーと思っているのではないかと思いました。

AIBO が危険視されていたとはちょっと想像しにくい反応だが、 カプラン氏によると、 ヨーロッパではロボットが人間に近づくたびに、 両者の相違点を指摘して 「それは人間とは違う」 と言い出すのだという。

長い間、 知性において人間より機械の方が劣るという認識がありました。 そして、 チェスで機械の 「ディープ・ブルー」 が人間の世界チャンピオンに勝った時には 「これは計算の問題だから良い例ではなかった」、 「勝ち方が馬鹿みたいだ」 と片付けました。

そこで、 次に機械と人間の違いは 「感情のあるなしだ」 と定義を立てました。 すると、 感情に似たものを備えた Aibo のようなロボットが出てきて、 光で感情表現もするようになりました。 すると、 今度は 「それは感情ではない」 と言い出した。 認識についても同じです。 ロボットが何らかの認識を示すと 「それは認識ではない」 と言い出すのです。 差異の定義をまた変えるのです。

以下、 カプラン氏の話に刺激されて、 おまけ。

議論の途中で定義を変えてしまうのは、 ゲームの途中でルールを変更したり、 裁判が始まってから法律を変えるようなもので、 いわばメタレベルのルール違反だが、 そうまでして人間とロボットの差異を言い立てなければならないのは何故か。 カプラン氏は 「西欧では人間性にかかわる哲学的問題として捉えるのに対し、 日本人は単なるテクノロジーと思っている」 からとしていて、 これも一つの理由になりそうだが、 もっと根源的なものがあるのではないか。

神が自分の姿に似せて人間を創ったとする欧米ないしキリスト教的世界観のもとで、 人間並みの存在 (=ロボット) が人間のほかに出現したとなれば、 神に選ばれた特別な存在とされる人間のアイデンティティは揺らぐ。 これに対して多神教的ないし汎神論的世界観のもとでは、 人間の側に彼我を峻別する確固たるアイデンティティはない。 たとえば仏教の世界では、 人は生きながらにしてすでに仏性を備えているということだから、 人と神 (=仏) の境界はこちらの世界にいるかあちらの世界かというくらいの違いでしかない。 また、 前世はヘビだったが、 今は人間で、 来世はオケラなどと言われても、 我々はたいしてうろたえるわけでもない。 そういう精神風土にあっては、 いくらロボットが人間に近づこうと、 もともと無いアイデンティティが脅かされる恐れもない。 だからこそ、 カプラン氏の言うように 「単なるテクノロジー」 の問題として、 思想的・哲学的な反応を引き起こすことなく、 進化を素直に祝えるのではないか。

前に、 ロボット工学の森政弘博士が提唱した 「不気味の谷」 説 に触れたエントリーで、 博士が文楽人形に対してきわめて高い人間らしさを認めていることについて軽い疑問を呈しておいたが、 この森博士の感性なども、 多神教的世界におけるロボットや操り人形の受け止め方の例かもしれない。 ちなみに森博士は仏教の研究者でもある。

-category ロボット
[07-04-06]
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