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ニュースの格付け装置としてのメディア
![]() 画: Economist.com 8月の末に新聞の購読をやめて、 ひと月あまり。 思ったよりずっと楽に新聞離れができた。 - joh's filer: さらば新聞 はじめの2~3日は、 多少の心もとなさがあった。 その心もとなさというのは、 ニュースが入ってこないということではなく (ニュース自体はネットで読める)、 ニュースの遠近感、 距離感がつかめない、 出来事全体の中での位置づけができないといったようなこと。 新聞をやめてみてわかったことだが、 ニュースメディアというのは、 たんにニュースを運んでくるだけではなく、 ニュースの格付け装置、 重み (ニュースバリュー) 付けの装置でもあった。 たとえばテレビなら、 重要なニュースほど先に報じ、 かつ時間をかけて報じる。 一次元的なメディアである放送に対して、 広い二次元のスペースを使える新聞は、 もっと多様な格付けを行っていて、 第一面のトップに最重要の記事が来るほか、 紙面の上部にあるほど重要、 また右側ほど重要、 さらに見出しの大きさ、 記事のボリューム、 写真の扱いなどによっても、 記事の重要度を示すことができる。 こういうきめ細かい格付けをしてくれる新聞に対して、 ネットのニュースサイトにあるニュースはどれも価値が同じに見えてしまう。 このパースペクティブの欠如が、 自分の感じた心もとなさの原因だったと思う。 で、 その心もとなさはどのように克服されたか。 と振りかぶるほどのことはなく、 なんの苦労もなく克服されました。 新聞を読むというのはただの習慣に過ぎない。 酒やタバコよりはるかに中毒性の弱い (つまり、 やめるのが楽な) 習慣だったというのが、 やめてみての感想です。 まずいなと思うのは、 新聞をやめたせいで、 逆にニュースに接する時間が増えてしまったこと。 新聞や雑誌のような、 よく整理された情報メディアを利用しない人ほど、 井戸端会議やクチコミによる情報摂取に労力を取られるということがあると思う。 それと同じことが、 新聞をやめた自分に起きているのではないか (自分の場合は、 井戸端ではなくネットだが)。 新聞の中毒性は低いとしても、 ニュースの摂取欲求がなくなったわけではない。 新聞に代行してもらっていた世界認識 (パースペクティブの構築) を自力でやるのは、 月々4000円の新聞代より高くつくかもしれない。 -category メディア [06-10-02]
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