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2018-03-30
永劫回帰の現場
佐藤信『ブランキ殺し 上海の春』(ブランキ版)、冒頭の一節。
上海の街路を短い葬列がやってくる。
道ばたの老人が話しかける。

老人 いつ?
── 一八八一年一月一日。午前九時十三分でした。
老人 なるほど。倒れてから五日間、とにかく生きてはいたというわけだな。
── 一度も意識は戻りませんでした。お医者さまの見立てでは脳溢血と……
老人 七十五年の生涯のうち四十年間を、牢獄に幽閉されて過した。最後の五日間は、とうとう自分の身体の中にとじ込められてしまった。パリ、イタリー大通り二十五番地。古い建物の六階の小部屋。ベッドで横になっていると、どこからか隙間風が吹き込んで来る。
── よくご存知で……
老人 墓碑銘は?
── 「ルイ=オーギュスト・ブランキ。一八〇五年から一八八一年。主人もなく、奴隷もなく」
老人 よし、行こう。行って、私にも墓に花をそなえさせてもらおう。
── 故人とは親しいおつき合いで?
老人 そう、終生の友……
── 失礼ですが、お名前を。
老人 私か? 私の名は、ルイ=オーギュスト・ブランキ。たったいま、上海に着いたところだ。

ブランキはフランスの革命家。
イギリス海峡に臨む岩礁の上に築かれたトーロー要塞の監獄で『天体による永遠』という冊子を書いた。
その中で彼が言うには、宇宙は恒星系の集まりだが、恒星系を作っている元素(原子)は100元素しかない。無限の宇宙を構成する材料が有限種しかないのだから、宇宙は無限に反復しなければならない。すべての天体も、天体上の生物も無生物も、すべての存在物はこの永続性を分かち持っている。

地球も、こうした天体の一つである。したがって全人類は、その生涯の一瞬ごとに永遠である。トーロー要塞の土牢の中で今私が書いていることを、同じテーブルに向かい、同じペンを持ち、同じ服を着て、今と全く同じ状況の中で、かつて私は書いたのであり、未来永劫書くであろう。  ──浜本正文訳『天体による永遠』

だが、この永続性には重大な欠陥がある。
それは、進歩がないということ。

ああ! 悲しいことに、それは事実なのだ。何もかもが俗悪きわまる再版であり、無益な繰り返しなのである。過去の世界の見本がそのまま、未来の世界の見本となるだろう。ただ一つ枝分かれの章だけが、希望に向かって開かれている。この地上で我々がなりえたであろうすべてのことは、どこか他の場所で我々がそうなっていることである、ということを忘れまい。  ──同(傍点原文)

ただ──とブランキは付け加える。
進歩がないのは事実だが、それだけが事実なのではない。事実は一つではない。
今この牢獄で『天体による永遠』を書いている私はといえば、王政、帝政、共和制、私が生きたすべての政治体制下で危険人物と見なされ、犯罪者として投獄され、敗北に次ぐ敗北を重ねながら、あいかわらず同じことを繰り返している。何もかもが俗悪きわまる再版、無益な繰り返しなのだ。
けれども嘆く必要はない。なぜならば、この永続と反復にはつねに枝分かれが伴い、この地上で我々がなりえたであろうすべてのことは、どこか他の場所でそうなっているのであり、すでに別の時空では別の私が革命を成功させているにちがいないのだから。

宇宙が無限であれば可能性も無限であり、私の成功は──少なくとも私の枝分かれは──信じていいのである。
現に枝分かれした私ブランキの一人が、

老人 私の名は、ルイ=オーギュスト・ブランキ。たったいま、上海に着いたところだ。

と名乗りをあげ、別のブランキの葬儀におもむこうとしているではないか。
上海でのブランキについてはおくとして、トーロー要塞のブランキに永遠の回帰という着想をもたらしたのは、事実は一つではない、そして私も一人ではないのだという思い。私の望みを、この私が遂げられないとしても、別の私が遂げるのは間違いない。進歩がないのはこの私であって、他の私たちなのではない。

瓜二つの人間、何十億という瓜二つの人間の形を借りて、我々がその幸福を永遠に味わってきたし、味わい続けるだろうと想像することもまた、別の楽しみではないだろうか? 彼らもまた明らかに我々自身なのだから。  ──浜本訳『天体による永遠』